よく若い人に対してどうこう言うのはあるんですけど、日常いろいろ観察して
いると問題が多いのは年配の方だと思いますよ。

数年前からゴルフが格安になったことと、自身の体が激しいスポーツに向か
なくなったこともあり再開しました。ご存知のように紳士の競技といわれ、服装
はもちろんマナーやルールに厳しいといわれています。

しかしたびたび感じるのが年配者の傍若無人なふるまいでイライラの連続。
先日も我々の後ろの組に気分悪いおっさんの組がいて、ペースを乱すような
振る舞いに頭にきましたし、その前はマナー違反ともいえる「早く行って下さい」
なんていわれもしました。そこにはスポーツ経験のなさを感じます。

日本人もスポーツの見方が年々変化してきてますよね。
例えば五輪のメダル主義、勝利至上主義、一競技一筋、根性論・・・曲がり角
も超えて次世代のスポーツ観が広がっています。
ただしこれはある段階までで、古い人たちにはまだまだ残っているといって
いいでしょう。そういうのがおっさんのマナー違反に見え隠れします。

以前こういう話をよく耳にしました。
「勝てないのに何で続けるの」「弱いとこにいたってどうするの」「走ったり無駄
だと思う」「金がかかるだけでしょ」「しんどくなるだけでしょ」・・・

勝てない論については、じゃあ逆に言えば今あるチームすべて勝ってばかりなの
かってことになります。そんなチームは皆無でしょう。
また多くの名プレーヤーは敗北やケガの挫折を経験し、そこから立ち直る話が
サクセスストーリーとして紹介されています。
野村監督の「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」は名言だと思いますね。

弱いところにいてどうこうというのについては一番頭にきます。
特に集団競技においては、たまたま強いところに入れるか、それとも弱いチーム
に入ることになるのか、すごく難しい部分がありますから。
強いから続ける、弱いから止めるでは好きなことはできませんよ。

また、強いチームの三番手や補欠でいるのと、弱いチームでも主力にいるのとで
は周囲の注目や評価はぜんぜん違います。
スポーツファンもそういう目で見るようになりましたから、まずチャレンジすること
続けることが大切だという価値観が広がる現在はうれしいかぎりです。

スポーツについての無駄はどうなんでしょう。
健康だし、仲間も増えるし、ストレス解消の一助になっています。
仕事が大切というのもわかるけど、楽しみがないと息が詰まりそう。
仕事が楽しいっていう人なら仕方ないけど、そこまでの心理にいたっている人は
少数派だと思いますから、趣味や娯楽がないとたいへんだと思いますね。

金がかかるという問題は確かにそうだけど、経済的に余裕がなくても工夫次第で
できることはあるし、出来ないとか無理だとかいう人ほど、理由をつけて避けてい
るだけといった印象があります。やりたい人はどんな状況でもしますから。

また批判する人ほど余暇を上手に利用してないし、タバコや酒、パチンコなど逆
に無駄なほうに使ってる印象もあります。
横着者にいわれるたびに、ご自分は病気で苦しむ未来が待ってますよ~ってw

ちょっとスポーツ論に偏りましたが、元にもどって年配の人たち。
実は先ごろ地元の祭りがあり手伝いに参加してました。
そういう時の状況も目に余るものがあり、こういうおっさんが今の若者がどうこ
ういう資格はないと激しく煮えたぎりました。

ある程度の年齢に達すると紳士といわれたい。
その定義は様々あると思うけど、英語ではジェントルマン、一時は貴族階級に
起因する言葉でしたが、ジェントルの意味でもある温和な、穏当な、優しい人と
もされるようになり、品のある温和で優しい人と受け取っています。

そうなりたいと思うのも、自分の心の中にある激しい感情、下品な部分、攻撃
的な心があることを知っているからこそ抑えたいと。
おっさんになってしまうとタガがはずれてしまいがちなだけにね。

ちょっと話は変わるけど先日作家でネット批評もされてる方が、新聞や雑誌は
書き手がある程度制限されていた、しかしネットでは誰でも書けるしつぶやける
し、発信できるようになったが、その資格がない者もいるとおっしゃっていました。

確かに選挙にも行ってないような人が政治とか行政批判する資格はないと思うし、
他人との関わりのない社会性のない人間とか、ボランティアや近所の活動にすら
参加してない人間が偉そうに語ってもブーメランでしょう。

オイラもあれこれ書きながら、なるべく言える範囲を意識します。
だからこそ勉強のこととか、金持ち目線の話や地位のある立場からの書き方は
資格がないと思っていますので、半分は匿名だけど身元を知ってる人は多いです。

何にせよ、人にあれこれ言うためにはある程度は自己犠牲や自主規制も当然。
なんかバラバラな書き方になってしまったけど、おっさんたちの生態を見ながら
そんな支離滅裂な感情にとらわれた6月の2週間でした。
自分自身はあ~はなりたくない!