ふと思った、そういえば去年の夏はツィッターでいろんな事件があり、
炎上させてとんでもないことになった人たち、通称バカッターが数多く
いたはずだけど、今年は少なくなったていうか、見てない。

さすがに他人の行動を見て、踏みとどまる人が増えたんだろうか、
それとも巧妙に表に出てないだけなのか。
何にせよ、ほんの些細なことで人生を狂わしかねないような大事に
まで発展してしまってはたまったものじゃないです。

まあ偉そうにはいっても、アホなことや注意されることをまったくした
ことがないなんていう人はいないでしょう。
それがわざとか、過失かでは話は違ってくるけど、何かのおりに仲間
内で語り合い、武勇伝それとも蛮勇おいおいもう少しで犯罪になるん
じゃないかと眉をひそめられることも。

ほとんどは話だから、証拠になるものも残らないけど、さすがにネット
上で文章や写真を残してしまうと言い訳がつかなくなります。
例えば自分なんかがOOを壊してしまったと友人に話すレベルでは
大事になる可能性は少ないけど、やってしまいました~なんて反省の
気持ちもなく写真をアップしてしまえば終わりです。

面白おかしくやってしまうことをなぜばら撒いてしまうのか。
年配の者だと写真が身近になかったから、これは撮るべきもの、どう
でもいいものと少しは考えている場合が多いと思う。
面倒くさいっていうのもあります。

しかし生まれたときから完全なデジカメ世代の若者なら、空気のように
素早くいろんなものを記録したり、もちろん転送したりします。
このときの少し立ち止まっての時間差があるかないかで、その後の運命
をかえてしまうくらいの出来事になるんだから難しい。

ここ最近問題になるようなものでは、こんな人がいたみたいな写真かな。
しかもどこぞの新聞張りに捏造し、ふざけたつぶやきを書く。
例えばコンビニ前で誰かがスマホしてて、その写真を撮り、この人は
ずっとメールしてて店の扉をふさぎ迷惑をかけています、みたいに。

さすがに衛生問題で大問題になった過去の事例ほど悪質さは小さい
けど、こういうネタをなぜ作り、見せたがるのか意味がわからない。
いじめになるものでは「ブスがいた」とか、そういうのもありました。

新しいグッズ、便利なグッズが出てくると、今までにない問題点も思いも
よらないかたちで発生します。テレビの登場もゲームもパソコンもまた
インターネットにスマホと法律が追いつかないくらい。
でも何かやるときに悪意があるかないか、これだけは共通しています。
自分の心の中にあるそうした気持ちは時折顔を覗かせます。

オイラも褒められてばかりどころか、怒られてきた人間なので偉そうに
は言えないけど、少なくとも叱ってくれた人はたくさんいました。
HPをはじめて掲示板でのいざこざでも冷静に指摘してくれた人や、
怒りにとらわれた姿を悲しいといさめてくれた人も。

思うに、ネットに意見や考えをぶちまけるのと同じくらい、現実社会で
同じ事を言える仲間や知り合いがいるかどうか。
もし誰かの顔を見ながらネットと同じことができないのなら止めた方が
いいでしょう。また身内同士で誰も注意できる者がいない場合もね。
オイラ自身はそこを書くか書かないかの判断材料にしています。