2014年10月26日

経験するということ

ちょっと身内贔屓な話になってしまうので何なんですが、先日甥っ子が
帰宅途中に具合の悪いおばさんを見つけたらしい。
話を聞くと病院帰りで少し気分が悪くなり、休憩しているということ。

「おぶりましょうか」と声をかけたけど、固辞され、少し休んでから自分の
家に帰るということなので、自分も付き合い、連れ添ってその女性を家ま
で見送ったということでした。
親の方は後日にその方がお礼を言いに来たことで知ったという話。

それを聞いたとき、確かに性格のいい子でもあるんだけど、それだけ
じゃダメで、やはり小さいときからの経験とか、周囲の親や大人を観察し
てきたことで、行動につながったんじゃないかと思いましたね。

どういうことかといえば、うちの亡くなった母親つまり彼にはばあちゃんに
なるんだけど、くも膜下の手術後、時折倒れることがありました。
オイラも何度か見てきたけど、彼自身もスーパーや駅なんかで倒れた
ばあちゃんを母親やじいちゃんが助け起こしたりするのを見てきたはず。
こういうのは慣れてないとあたふたするものです。

自分自身も思い返すとバイク乗りだった頃は事故に何度も遭遇し処理の
手伝いをしたし、 スポーツをしてたときもケガや脱水症状、脳震盪とかを
救急車を呼んだりしてるし、急性アル中やケンカとか百戦錬磨の方かな。
しまいにゃ自分の骨折のときも冷静に自分で救急車を呼びましたしねw

でも、よくよく思い出すと初めてのときはやっぱ焦ってたように思う。
というのも判断とか決断はとっさにするのが難しいし、もし間違ってたら
とか、自分がそこまでやる必要があるのかとか、けっこう一瞬で考えてしま
い、そうこうしているうちに誰かが現れ、その人に任せてしまうパターン。

あるとき友人3人と単独の自動車事故を目撃したときは、血まみれの
重傷者に2人ともかなりパニくってたので、それぞれ救急車を呼べ、
近所の人を呼べと指図し、現場から離すことで落ち着かせました。
慣れてない場合のパニくりようにびっくり、それもまた経験で知りました。

今は消防団の活動で、これまたかなりの場面に遭遇したので、落ち着いて
対応できるけど、当初は右往左往でしたね。 そのときは分団長や班長の
指図で動くことで落ち着かせていたのを思い出します。 

心の中では人助けをしたい、困った人を助けたい、そして喜んでいただき
たいと考えている人がほとんどだと思います。
でも、もうお気づきのように思うだけじゃ難しいんですよね。

甥っ子も実際はやってないかもしれないけど、周囲の大人のばあちゃんへの
対応を見てたことで、とっさにいろいろできたんじゃないかと。
またスキーの指導で数多くの学校をみてきたけど、障碍児のいる学校やクラス
の子供たちの彼ら彼女らへの対応を見ていると感心します。

教師の友人もそういう子供がいると、必ず抗議する悲しい親が少なからずいる
という話を聞きました。でも彼自身そうした子を受け持つことで、クラスがまったく
違うものになることを丁寧に説明すると納得されるし、実際わが子の変化に
感動する親が多いというのも聞きました。

ドラマや映画で感動モノをみて、自分も何かやってみたいと思う人は多いでしょう。
でも、実際に体験すると自分の心の弱さや実力のなさ、勇気のなさとかを知り、
ズタズタになってしまうこともあります。
とはいえ、そこからあきらめず強くなっていく自分を知ることは本当に心地いい。

偽善という人もいるでしょう。
例えそうであっても人から喜ばれる偽善はやらないより、やったほうがいい! 
ダメなのは金目当てや欲とかにつなげていくものでしょう。
自己満足の偽善はどんどんやらないと!

甥っ子も同年代ではかなり体格のいい子なんですが、心もすくすくと健全に
大きくなっているのを聞いてすごくうれしいです。
少なくとも自分に関わった子供たちが他人を気遣う人になってくれるのはあり
がたいものです。

悲しい経験がいつか人様のためになるものでありたいものです・・・ 

taka1346yu at 23:55│ひとりごと