勉強する、学ぶっていうのはどういうことだと思います?
いろんな意見があると思いますが、先人の知識を学んだ上で、さらに
新しい発明発見を導き出すのもその一つだろうし、時には過去の知識
を否定することにもつながっていきます。

もし教えられたことに疑問を持たず、ずっとそのままであったなら人類は
進化しないのではないでしょうか。だからといって先人が否定されるもの
ではなく、科学技術が進歩してなかった時代でも、精一杯世のため人の
ために尽くした人たちは尊敬されるものです。

なぜこういう書き出しをしたかといえば、先日ネットの記事で衝撃を受け
たものがありました。ご存知とんでも歴史の韓国、なぜあんな風に誰が
どう考えてもおかしいと思う理屈を述べるのかわかりませんでした。
そしたらそのヒントになるものがあがっていたんです。

韓国がノーベル賞を取れない理由というもので・・・
彼はソウルで中学、高校を卒業したが、科学、化学の実験を一度もやっ
たことがない。全て紙(教科書)と先生の話で覚えた。イメージトレーニング。
高校の時は、科学室、実験道具すらなかった。
えっ?てなもんんですよね。

そして・・・
それに高校の時は一度も作文をやったことがない。
一度も。卒業文集すらない。
国語の授業で自分の考えを文で表現する時間がなかった。
小説、詩集を読むと教師に怒られた。
そんなものは大学入ってから読め、と。
でも、作文と読書が一番必要な時期だったと思う。  

これには心底驚きました。
韓国の高校の時間割はそれはもう凄まじく、かなりの勉強をしているとは
思ったけど、中身についてはわかりませんでしたからね。
なぜ?のような疑問が起こらない学習に何の意味があるのか。

また先生はこう言ってるけど、俺は違うと思うとか、その根拠としてはこれが
あると反論するなど、先に書いたように進歩は戦いでもあるので、単なる
詰め込み教育には何の意味もないと思う。

日本の底力には学校の勉強は合わなかったけど、自分の好きなことを追求
する人や非常識パワー、反抗する従順ならざる人たちが数多く存在したと
いう点も大きいと思います。それらの人ときちんとした基礎学力をつけて勉強
した人がバランスよくいることが、日本の科学技術や文化文明に寄与したと。

歴史についていえば最近では古墳時代から戦国時代・・・いろいろと新事実
が登場し、過去に学んだことが変わっていています。
有名なものでは肖像画が別人であるという発表もされていました。
それでも真実を求め、類推と証拠そして最新科学も合わせて研究されています。

そういう点でみても韓国のとんでも歴史がいっこうに改善されないも合点が
いきました。否定されることを恐れ、自分の知識が改定されることを避け、
そのためには自己都合の屁理屈をもってくる・・・
また結論ありきの流れを作る感じは、あの朝日の捏造記事にそっくりです。

日本の教育が最高とはいいません。
日本でも長年かの悪名高い日教組の戦後教育が行われました。
それでも日本人の多くは、そのイデオロギーを受け入れず、しごく真っ当な
歴史認識、天皇制、防衛観、近隣諸国との関係を築いています。
政府、行政、立場が上の者への批判精神がありますから。

そこには先生だから尊敬しなけれならない、偉い人だから言う事を聞かなけ
ればならないという立場で従うのではなく、自分が尊敬できるかどうかによっ
て決めているからだと思いますね。だからこそ、学校で暴れていた者が社会
でもそのままかといえば、自分の仕事の上司や先輩、師匠には反抗しない
というとろこからみてとれます。

日ごろ、いろんな老若男女とわず、いろんな人と出会い話しますが、みんな
本当に賢いというか、いろいろ考えているんだなあっていうのがあり、だから
こそ少しでも多くの人の話しを聞いてみたいって気になりますね。
時にはぶつかることや、とんでもな人もいるけど、それらを含めてすべてが
日本社会だという印象があります。

その反面、韓国には絶望しました。
何より反論を認めない言論弾圧という形こそがすべてを表していると思います。
言わせないのではなく、粘り強くまた有無を言わせない反論ができないとね。
流れを止めたtらすべてはそこで終わり、進歩も進化もありませんよ・・・