あの震災から20年ですか・・・
いろんな人と話すと、あの日あの瞬間にどうしてたかを鮮明に覚えていて
それぞれに様々な思いがあると知らされます。

オイラも友人たちと話してて思い出してきました。
地震直後は西宮にいる妹に電話し、このときはすぐにつながったものの
6時半以降はまったく不通になりました。

なので連絡できなかった親戚や友人がどういう状況なのかつかめず、
ようやく夜の7時に避難先から無事の知らせを聞くことが出来たとき
安堵したときのこともすっかり風化していました。

それも命があったからこそであり、亡くなった方々の遺族にとっては、まだ
時間が止まったままでしょう。震災スペシャルの番組を見ていると涙が
自然にこぼれてきました。

体験以降の人たちは、日本のどこかで天災などがあると、ボランティア
で駆けつける人たちが増え、オイラも参加したことがあります。
悲しい体験はしないにこしたことはないけど、悲しみを知る人の多くが他人
に優しいということもあるため、ちょっと複雑ですね。

今でも神戸にはたまに行くんですが、やはり歯抜けの更地や昔はたぶん
もっと活気があったはずなのに、引越しなどで人口が減ってしまった地域
なんかを通ると少し感傷的になったりもします。

番組なんかでは「生かされた」と話す人がけっこういました。
なぜ自分は生き残り、ほんの少し離れていただけの人が亡くなったのか。
そう自問自答を繰り返す人は少なくないでしょう。

先日はさんまの「あんたの夢をかなえたろか」という番組で、特攻で生き残
った人が人生のほとんどを亡くなった戦友の家に行き、真実を語るという
活動をしていた人が妻に恩返しというのをやっていたけど、こういう名もなき
凄い人がいるんだと感心させられました。

偉い人にはなれなくても凄い人にはなれると、がばいばあちゃんの言葉に
あったけど、世の中には知られていない素晴らしい話がたくさんありそう。
悲しい辛い出来事から、くじけず負けずさらに強くなっていく人。

オイラには難しい話で、いまだ生きる意味とか、目的が何なのかわからない
道半ばの人間ですが、少なくとも自分の存在で他人が喜んでくれるようなこと
があればと考えます。
自分には難しくてもそういう姿勢で生きてる人を友人に持ちたいものです。