ミシュランにも載っていた有名寿司店が中国人客の予約を断ったとかで
ニュースになっている。なんでも最初は好意的だったのが中国人と知った
とたんに断られたとかで、差別云々の主張だ。

これがネットでは「差別じゃなく区別だ」「中国人のイメージ問題」「そんな
店にこだわらず他店に行け」などが主にあがっていました。

日本でもバブルの頃に似たようなことがありましたよね。
当時流行ったディスコなんかでは表に黒服と呼ばれる人がいて入店の
服装チェックをしてたし、急に金持ちになった人がたくさんいて、今回の
中国人と同じように高級店に行こうとすると一元さんお断りされ、屈辱的
だとか、逆に認められるようになったと自慢してたことがありました。

お客様は神様思考により、客に媚びるのが絶対だというような風潮もいま
だにいわれることもあるけど、わがままな店とか、頑固な店主というのも
認知されています。

そのためよほど自分に落ち度がないのに何かされれば怒ることはあっても、
店側の都合とか方針が明確な場合には客側も我慢することもありでしょう。

先日には以下のような書き込みもありました。
それはラーメン店でネギをご自由にと書いてあったので、目一杯乗せたら
次回からは入店禁止にされてしまったというものです。

これについての意見では「自由にと書いてあるのだから」「限度を考えろ」
という二つに分かれていて、法律的には問題ないというのもあったけど、
そもそも法律に明記されないと理解できないのは情けないと思いますね。

似たようなことで最近オイラ自身がどうかなって思うことがあるんですが、
ラーメン店やカレー専門のようなところで食事してもずっと居座る若者が
すごく多いと感じます。

これが空いているとかなら何も思わないけど、人が待っていたり回転の
多い時間にも関わらず、追加注文もしてないのにずっといる。
酷いときには後から入った自分たちの方がその連中よりどけたり、業を
煮やした店員が「お客様、お待ちの方が居ますので」と催促されることも。

居座れない店と逆に居座るのが目的の喫茶・カフェという住み分けが常識
だと考える者にとっては、そういうのも明確化されないと理解できないのか
と想像力の欠如に、これがコミュニケーション能力の無さにもつながってい
ると思ってしまいますね。

屈辱を味わうことなんていくらでもあります。
そこで味あわせた人間に直で怒りをぶつけるか、相手にしないかが主に
対応策になるでしょうけど、その場では相手にしなかったけどネットで攻撃
するというのは一番卑怯な手段だと感じます。
仮に文句を言うなら周囲の仲間や家族にいう程度でいいでしょう。

他人に文句を言うのは簡単、でも自分も完璧人間じゃないと思えばこそ、
少し立ち止まって考えられるし、オイラ自身が怒らなくなったのはつまらない
対応しかできない小者に怒る自分も小者だと先輩から教えられました。

韓国のパク大統領が諸外国に告口をしてまわっていたのをどう見るか?
ああいうのに賛同するならどんどん書けばいい。
少なくとも情けない、よくないと思えばしないことですね。
(文句はいいけど具体的な店名とか出さないという話)

社会行動をしていて人からスマートな人、紳士的な人だといわれるように
なるのが目標です。豪快であったりするもの憧れるけど下品だとか思われ
るのはあまりにも悲しい・・・
そして自分が今どういう状態なのかは付き合っている友人を観察すれば
自分というのもみえてくるでしょう。