ネットには様々議論が上がっていて、面白いものもあるんだけど、ほと
んどが意味のないというか不毛なもにに感じています。

というのも物事は〇かXか、白か黒かでもいいけどイエス・ノーで答えら
れるのかどうか疑問なものばかり、ただ今回の都構想住民投票のように
決着をつけなければならないものもあるけど、TPOによって決まってしま
うものの方が多いんじゃないかと。

今の話題としてはメモか、それとも写メかというものなんだけど、はっきり
いってどっちでもいい。いろいろ読むとステレオタイプに話を持っていく
傾向があってメモが大事はアナログおやじ、写メの方は若者ゆとりという
ような感じで、そもそもの決着はまったく見られませんでした。

間違いなく記録するには写メでしょう。
ただ相手に失礼に当たる場合は、すぐに写真を撮るのはNGだし、状況を
判断してやればいいこと。ただしネット流出の危険は重々覚えておいた
ほうがいいでしょう。

メモにしても一生懸命やるのはいいけど、書くことに没頭してしまうとミスを
併発することもあるでしょう。ただ相手の話を聞きながらメモをすると、なか
なかやる気があると思わせることもあります。
こちらについては好印象をもたせるやり方でもあると考えますね。

オイラ自身の結論は両方すればいい。
性格的にいい加減なところもあり、適当に嫌がられず、時に好印象を与えら
れるのならそれが一番ではないでしょうか。
それは良い加減でもあると!

逆に何でも絶対と主張する、いわゆるべき論のようなのは好きじゃないですね。
ほとんどのことにそれぞれの言い分、長所・短所があるんだけど、いろんな
環境、体験を通じて得られるような善し悪しの議論は、そうした状況を知った
上で話をするのなら意味もあるけど、まったくわからない相手とするのは
無意味というより危険なこともあります。

ある宗教勧誘をしていた友人から聞きました。
どんな話題でもいいからまず議論をする。
例えば結果は成功するんだけど、その過程として苦労した方がいいのか、
すんなり進めた方がいいのかどっち?と聞くんだそうです。

そして相手がどちらにせよ、必ず反対の方で意見する。
苦労した方がいいといえば、同じ成功するならコストも労力もかからない方が
いいんじゃないの?すんなりといえば、やはり苦労したからこそ得られるもの
それがかけがえのないものであればどう?みたいな感じ。

負かすほどやってしまうのはダメだけど、思考がごちゃごちゃになるようにと
にかく話をするのだという。
質問についても似たようなものを用意し、次から次に。
議論が好きな人ほどはまっていくというから、賢い人ほど洗脳されるという
のもわかるいような気がしませんか?

そんなことを知ってか知らずか、オイラが対応したのが「どうでもいい」
とにかくどっちでもいい、くだらない、時間の無駄、結論はいらない・・・と。
これには歴戦のつわもの達をほとんど退けることが出来ましたw

そういう過去の経験からも、ネットで議論をふっかける連中の中には、そうした
手法知る残党がわざとやってるんじゃないかとうがった見方もしています。
またシンパシーを与え、仲よくしていくというアプローチもあるますからね。
ネットの議論はそうした面もあると考えた上でウォッチするといいかな。
 
質問攻めする人間の多くには、相手をやり込めるための戦術としていることも
あります。自分は確実な答えを知った上でする。
相手が知らないとバカにし、優位に立つようにする卑怯なやり方ですよ。
とはいえ、その土俵に乗らないのが一番の対処法、バカにされてもどうでも
いい、自分は自分、他人は他人、余計なプライドなんて捨てましょう!

もうみんな十分知っていますから。
世の中はあいまいだからこそ面白い!
みんなが同じような方向に統一されてしまうと・・・面白くないし怖いよね。
十人十色だから楽しい!