集団的自衛権の安保法制が着々と進んでいるようです。
こうなると反対派があれこれと阻止しようとするのですが、一昔前と違い
どうも盛り上がらない。なぜ彼らの主張は心に響かないのか・・・

日本国民のほとんどが戦争反対でしょ。
いやそもそも賛成している人はいるんだろうか。
反対論者は今回のような法改正する安倍首相をはじめとした内閣及び
与党を戦争がしたいと声高に叫びます。
また彼らに賛成する人たちも戦争賛美者であると。

そもそも戦争するっていうことはどういうことか考えているのか疑問。
というのも過去の戦争を調べ、なぜ起こったかといえば100%メリットのためで、
犠牲があっても利益が優ると考えるからでしょう。
そうじゃないのに突き進むのは独裁政権しかありません。

ただし相手側に関していえば、巻き込まれてしまったということもあります。
それでも巻き込まれてしまうほど弱いか、憎まれているか、利益があるか。

そう考えて日本をみるとどうでしょう。
日本は平和で安心安全で自由な国、これ以上権益を増やしたいという
野望を持った国民の意見は聞いたこともありません。
諸外国とともに平和を望むのが天皇陛下を筆頭に日本人の願いです。

反対派が唱える戦争がしたい、徴兵制を復活、独裁政権というスローガンが
空しく感じるのは、論理的な思考と検証そして討論がないからというのが
個人的意見です。もうおわかりのように戦争はしたくなくても巻き込まれる
可能性があるもの、少しでも相手方に手を出せば痛い目にあうぞ!くらいの
けん制は必要ですからね。

反論のルール―相手の主張を歪めてはならない (ダミー論証)というのが
ディスカッションにおけるルール&テクニックとされているようです。 

ダミー論証とは、詭弁の一種で、相手が主張していないことを自分の都合
の良いように表現しなおし、さも主張しているかのように取り上げ論破する
ことで、相手の主張を論破したかのように見せかける手法。
別名「わら人形論法」、「架空の論法」、「ストローマン」とも呼ばれます。

ダミー論証は、「Aである」とする主張に対して「Bではない」と述べる形式
の誤りで、論理的でない人は無意識にダミー論証を行うのだとか。
 
(例 Wikipediaより引用。)
A氏 「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」 
B氏 「そうは思わない、子どもが外で遊ぶのは良いことだ。
    A氏は子どもを一日中家に閉じ込めておけというが、果たしてそれは
    正しい子育てなのだろうか。」

A氏は子供を家に閉じ込めておけとは言っていません。
B氏は架空の主張に対して反論しています。
 
ダミー論証が使われやすいのはAとBがその場で議論を展開しているとき
ではなく、Aがその場にいないときに、BがAの意見をみなに紹介して、
それから反論する場合です。
Bは「Aはこんなことを言っていた・・・」と説明しますが、そのときにBにとって
都合の良い歪みが加えられることがあります。

 
大事なこと: 存在しない情報を想像して補完してはならない。
このように紹介されているもので、完全に戦争反対・9条護憲の論に似ています。

オイラ自身が考える戦争への道は、日本人は自分から狙わないとはいえ
狙う側がどうなのかということを考えます。
まず可能性があるのは中国とロシアになります。
特に中国は現在進行形で領土拡大してるし、ロシアは旧ソビエト領の奪還
という感じと解釈すればいいでしょうか。

一時の中国は脅威も少なく、そういうことから沖縄から米軍基地は必要ないと
おもうくらいのところまできていました。
それが今のようになってしまったのはどういうことでしょう。
日本のように選挙があり、意見も賛成反対双方あり、何よりはっきりNOといって
国に逮捕されない国と正反対の国、どっちがどうなんだか・・・

日本人は義とか理で動きます。
もし仮に日本で戦争する方向に動くとすれば、それは自分たちの身内がやら
れたときとか、被害を受けたときでしょう。
それに対して中国人とか北朝鮮・韓国人のもつ性質は自分たちが強ければ
好きにしてもいいでそれこそが力による現状変更の考えです。

日本が過去の戦争でよく聞かれるのは本土への戦禍を一日でも遅らせると
か、本土の家族が一日でも長く生きられるようにというものでした。
滅私奉公といわれるように自己犠牲の精神やそのための一致団結は凄ま
じいと思うほど強固なものでした。

ずっと前に台湾人と韓国人と話したとき、今でも日本人に対して持つ恐怖感
というのがあって、いざとなると日本人はそのように豹変するということでした。
国を守る気持ちがありますか?愛国心はありますか?このような質問でNO
と答える日本人、最下位といわれているけどはたして?

中国とか朝鮮半島では負けるとなるとあまり抵抗していません。
その反対に勝てると思う相手には残虐非道な仕打ちを行っています。
日本兵は規律と性格上そのようにしていないにも関わらず、彼らは自分たち
もするから日本兵もという理由でリンチのような話をでっち上げました。
そうやっていろいろ分析すると東アジアでも国民性がまったく違うということ。

日本以外の国は日本を恐れ、軍拡させないようにし、自分たちが強くなければ
と考えているけど、相手によって行動する日本人の考えではその脅威こそが
逆に不安感に拍車をかけていることに気づいてないようです。

だから日本の戦争反対論者に言いたいのは、まず相手側にも何か言えと!
中国や北朝鮮には何も言わない。
そのくせ日本政府と与党への攻撃ばかり、そんなことばかりなので中国から
工作を受けているんじゃないかと言われても仕方ないでしょう。
いや実際そう思えるレベルの話が沖縄では進行しています。 

韓国にしても行き過ぎた反日のせいで、親韓と呼ばれる人たちもさじを投げ出
し始めました。お互い不幸な時代があったね、でももうそういうことはなしに
協力し合ってがんばろう!っていう方向なら文句なし。
被害にも遭ってない世代が日本が悪いって一体なに?って話。

戦い殺しあったアメリカとは握手していて、中国や韓国と出来ないのは完全に
外交カードであり、先にも書いたように強ければ何をしてもいいという民族性が
そうさせているのではないのでしょうか。折れない相手に日本が折れるとでも?

そんな両国の国力が徐々に弱っています。
だから性急な結論は必要なくなってきたとはいえ、準備をすることが抑止力に
なるという両国への牽制もはっきりしています。

とはいえ現時点の安保法制を見るけど乱暴な印象もありますね。
素人目にも危うい感じ、だからもう少し見続けていこうと思います。
戦後日本の変わり目、ただ絶対に戦争しないためにも・・・