噴火あり、地震あり、そしてなにやら南シナ海もきなくさい動き。
この先どうなっているのかがわかりません。

これが30年前の自分なら、もっと能天気だったと思うけど阪神淡路
大震災、東日本大震災や他にもいろんな天災を経験し、しかもそれらが
まったく予測もできなかったため、いつどうなるかが不安。

よくオカルトを批判する科学だけど、その科学にしばられ未知とのことに
取り組もうとしない姿もまたオカルトのように映ります。
地震や噴火が起きてもそのメカニズムばかり・・・もういいよ。

1999年の7の月の予言で、占いや予言はまったく信じられないと思った
反面、未来は自分が思っているよりもさらにカウスであり、命の補償や
どういう社会になっているかの予想図さえ何も浮かびません。

ただ自身はけっこう命の危険を感じたことが何回もあるため、死を身近に
感じ、いつきてもおかしくないと思えばこそいろいろ考えられます。
そういう想像力を働かせることで最近は無茶をしなくなりました。

だから天気予報を見ずに自分の休みの都合だけで登山に行くとか、普段
の車の運転や歩行でさえ何も考えてないような人が信じられない。
あの人は自分が事故ると思ってないんだ、死ぬと思ってないんだ・・・

特に御嶽山噴火では天気も噴火予測もなかっただけに、いつどうなるか
わからないを一番実感させられたものになりました。
また米中戦争もこの先わかりませんよ。

そうこう考えていると、今の生活、今の状態がはたしてどうなっているか。
だからこそ今自分が何をどうしたいか、迷っていたらとりあえずやっておく
という姿勢が大切なんじゃないかと。

ただ身上をつぶしてまで実行しろっていうんじゃないです。
急に全財産はたいて世界一周なんていう極端な考えじゃなく、最近OOさん
に会ってないけど会いに行くかとか、あそこに行ってみたいと思うけど行って
みるかなんていう小さなことです。

自分の場合はこれまでにけっこう好き勝手してきたから、そんなにはないん
だけど、イベントのようなちょっとしたことに行くようにしてます。
見納め、買い納め、着納め・・・そんな気持ちで。

刹那的な考えになってはいけないけど、死を真剣に考えると生も少しは違っ
た見方が出来ると思うんですよね。
ここ数年は激変が予想されるだけにいろいろ考える日々です。