戦争のことを考えていく中で、一番おかしいと思うことに必ず
ぶつかることになります。

ほとんどの人が経験する学年という壁、小学校から中学、高校、
大学と続き、社会人の当初まで続いていく上下関係。

上級生と仲良くてスポーツなんかでは圧倒したけど、知識とか
知恵とか経験に勝る先輩は尊敬してきました。
ただ感覚的には幼い頃の一学年はすごく違ったものが、高校生
くらいになれば次第に同級生くらいの差に縮まります。

それが社会人になれば3学年前後が、そして中年にもなれば5つ
くらい違ってもそんなに大差ありません。
逆に固執してしまうと円滑な人間関係は難しいでしょう。

だから多くの企業や組織でもある程度の年齢になれば飛び級と
いうか年齢に関係なく実力で役職がつきます。
これがもし出来ないとしたら・・・

戦時中にもエリート教育がありました。
多くが試験で、中には実技もあったかもしれないけどほとんどは
とにかく試験の点数だったということです。

それが卒業時の順位となり、主席と2位が上へ進む。
そして卒業年次とその順位がその後もずっと続く・・・
絶対におかしいでしょう。
19,20の試験の成績や入社年次で固定されれば絶対にいびつな
構造になることは100%わかりますよ。

そして戦争は頭はいいけど30年も戦争してなかったエリートらに
よって引き起こされ、絶対の上下関係と組織の面子によってどろ
沼にまで突き進み、しかも誰も責任を取らないという信じられない
構造によって、必要以上の命が失われたと思うんですよ。

その上、その構造が官僚機構に見事に受け継がれていて、ご存知
の方も多いでしょう、試験の順位で省庁が決まり、年次で上へいく
ため、上司の決定や上司のしてきた事業を否定できないようになって
いるため、日本が梗塞してしまった遠因だと感じます。

よく冤罪事件なんかでも、はっきりとわかっているのに再審が進ま
ないのは先輩が出した判決を否定できない構造にあり、その人たち
が引退か逝去されるまで待っているからこそ何十年もかかっています。

また公共事業にしても一度走り出したら止められないのも、似たように
先輩の事業が否定できないというもので、上の官僚がそうなんだから
公務員全体が同じように続いているものうなずけるし、その被害に
あってるのは誰なのかってことになるでしょう。

日本人のほとんどは頭がいいから素晴らしい政治や行政ができるとは
かぎらないと感じていると思います。
もうすでに戦後の70年は最高学府のトップや国家公務員試験をトップ
で受かった人たちが運営してきて今の状態なんですから。

なぜ官僚だけ戦争時代と同じようなシステムなんでしょう。
同じような臭いのする高校野球でさえ、3年生レギュラーでなきゃダメ
だということはなく、1年や2年が出場してるというのに。
ホント、いろんな組織をみててもあそこだけですよね。

ここを変えるのはたぶん至難の業、でもいつかは決断しないと!
たぶん選挙制度や議員給与を議員自身させているままではよくならない
ように、外部の組織が無理やりに変えるしかないのかも。
そしてそこには憲法の壁もあるのかもしれん。
戦後といえるのはまだまだ先のような気がします。