2015年08月22日

アンチと信者

物事を語るとき敵味方、好意悪意といろいろある。
ただ二元論で終わるのも無意味だと思う。
世の中があいまいな中で上手くいってるように、イエスノーで色づけ
してしまうと息がつまりそうな嫌な社会になってしまう気がする。

そういう視点からネットなんかで議論されているものを読んでいると、
辟易してしまうのがこの譲り合うというか歩み寄りのない議論。
タイトルに書いたアンチと信者、どっちにも組したくなくなる。

その理由は、まず信者の方だけどこちらは蓼食う虫のごとく、好きに
なってしまったら一途で素晴らしい反面、批判精神や矛盾をつくこと
もなく悪いところにも目を瞑ってしまう。

せめてこういう風にすればもっといいのにとか、こういう点は止めて
ほしいくらいでも言えばいいんだけど、それすら信者同士ではタブー
とされるほどのものになる。

こうなった場合を観察すると、対象は勘違いし暴走しやがて破滅
してしまうのが常みたい。
けっきょくは宿主と運命を共にするウィルスみたい。

例えで行くと阪神ファンに増えたw
オイラが熱狂してた頃はそれはそれは弱くて、最下位街道まっしぐら
のころ、甲子園の外野スタンドは数えられるくらいで、行くと顔見知り
になれるくらいの人数。

その人たちで野次りまくっていたのが、日本一になり最下位からは
脱してそこそこの強さになると、エラーしてもドンマイドンマイの声。
ぬるま湯がさらにぬるくなり、気づけば甲子園は満員続き・・・
当時いた柄の悪い人たちもいなくなり、家族連れや女性ファンも増え
名物だった汚い野次も激減・・・

確かに柄の悪いのはよくないけど、スポーツの試合にあるギラギラ
感というか、やるかやられるかみたいな緊張感のない試合には
自然と興味がなくなってしまいました。


アンチの方についてはスタートはかえってその方がいいと思う。
何の根拠もなく好き、正しい、立派と誉めるのもどうかと。
また批判精神があるくらいの方が健全じゃないかな。

でも、こちらでも一部好きになれないのが、嫌悪とか憎悪に凝り固ま
ったものは気分が悪くなる。もう少し愛情とは言わないけど少しくらい
は優しさの情がほしいと願う。

最近目立つのは安倍首相に対するものがまさにそうですね。
なんていうかレベルが死んでくれといわんばかりで、またその批判
についても第三者に理解してもらおうというようなきちんとした理屈
や反論を並べているものなら聞いてみたいと思うけど、単に独裁だ
の戦争をしたいだの感情論に終始して訳がわからない。

いろんな利権や特権に手を突っ込まれているみたいなところもある
んで必死なんだとは思うけど、それらは隠蔽されていて別の部分を
クローズアップさせて攻撃するというのはすでに暴露されてる。

だって本当に嫌いならふつうは無視するはずですよ。
関わりたくもないし、自分が気にするのも嫌でしょ。
ムカムカすることに気分を害し、血圧を上げ、あげくストレスになって
しまっては何もよくない。

だからアンチには難しさがあって、批判で関わるなら少しは相手の
いい面を見つけるくらいの余裕がないと、本当に嫌なら絶対に避け
るべきだから、実害があるとかじゃないとねえ・・・
また批判についてもユーモアの余裕がほしい。 

一時期のテレビは何かにすぐコメントが出来るタレントをもてはやしま
した。頭の回転が速い、反応がいい、饒舌、物知り、飽きさせない・・・
それが一般でも人気が出てきたことで早く反応する人たちがいるけど
そこには基礎的な知識と思いやりがないと滅茶苦茶になり、ただの
悪口のようになってしまってることがある。

最近テレビを見てたら「ブス」「つまらない」「おもろない」という言葉を
連呼するばかりで、せめてどういうことがとか、なぜなのかをおもしろ
おかしく表現してから言えばまだ変化球になるけどストレートはね。

そういうのもあってテレビには即時性の期待よりも、的確な分析とか
親切丁寧な説明や解説をしてくれるものがいい。
それも池上さんのようなもうすでに知ってるレベルやバカに教えよう
としてるようなものじゃなく、またずっと書いてるようにどちらかに思考
が「傾倒してるようなものじゃないのがいい。
テレビでは少なくなっていてネット動画に多くなりましたね。

物事はやはりほんの少しだけ立ち止まって考えたい。
オイラがあまり怒らなくなってきたのもそれが出来てきたからかなw
まあ反応が鈍くなってるというのもあるでしょうが。
即行から熟考へ・・・年をとったかもしれないけど、それでいいと思う。 

taka1346yu at 20:21