27日の夜、夏季訓練の予備訓練をしていました。
ふと見上げると月がもう少しで満月(28日)。
いじょうなほど大きく綺麗なのが印象的でした。

そして日曜日、たぶん台風の関係もあり月は見れませんでした。
ほぼ満月だったと思われます。
この日の夜も会合で、帰ると父に言われました。
「おばちゃんが亡くなったよ」と。

葬儀関係の知り合いから、ずっと前に聞いていた満月の夜は亡くなる人が
多いというデータ、彼らもこの周期は見逃さないとのこと。
病気や老齢で体力の弱ってる人には月の引力の影響がかなりあるともいわれ
あながち眉唾ではないとも言われています。

そんな夜におばもまた逝ってしまいました・・・

自分にはおじいさんと呼ぶ人が生まれたときからいませんでした。
おばあちゃんと呼べたのは母親側のおばあちゃんのみ。
その祖母も亡くなり、数年前には「おかん」と呼んでた母親も逝きました。

親せきで「おじちゃん」「おばちゃん」と呼べる人がまだ存命の人も多い
なか、そんなこんなもあって少なくなってほしくないという強い思い。
しかも本当に数少ないご近所で会えたおばの死はショックでした。

もう高齢で大病もし、ここ近年は以前のような元気な姿が見れなかったし、
年明けからかなり悪くなっていたのである程度は覚悟してたけど、
それでも小さいころから可愛がってもらってただけに心底寂しい。

今日は葬儀に行き、読経の時間の間にそうした昔の思い出がよみがえって来て
知らず知らず涙が溢れていました。

自分は言いたいことを言い、やりたいことやり、敵を作ってもなんとも思わ
ない代わりに、絶対的な味方がいるという根拠のない安心感を持っています。
自分みたいなどうしようもない人間でも愛してくれたり好いてくれたりする
不思議なほど情愛を傾けてくれる存在・・・

そう感じる一人が今回のおばだったこともあらためて気づき、喪失感のような
ものがこみ上げると、ずっと昔の微笑んでくれた姿が瞼の裏に現れました。

よ~来たなあっていう言葉を思い出すとまた悲しくなるし、上がっていきんさい、
何か持って帰りんさい、帰るときには元気にしんさいよって声掛けも・・・
いまだ脳裏から離れません。

亡くなった人はあの世へ行くとき、苦しい病気も縛っていた年齢もすべて浄化
され、その人が一番健康だった体で旅立っていくと信じてます。
おばも自分が知ってる笑顔があふれ、心配で叱ってくれた頃の最良の時代の姿
で自分の両親そして妹である我が母に会いに行くんでしょう。

それを悲しむばかりじゃなく、気持ちよく送ってもあげたい。
それが自分に愛情を注いでくれた恩人への花向けになるのであれば!

多くの花に囲まれ、旅立ちました。
おばちゃん、ありがとう!そしてまた会える日まで。