今年を振り返るとやっぱ基本は「いじめ」だったよなあ。 学校ではじまり大人社会、この国の仕組みまで、弱い者いじめそんな気がする。 つまりは子供だけの問題じゃないってこと。 おいらはいじめていたことが多かったけど、もちろんそんなだから仲間はずれに されたこともあった。いわゆる性悪として人生の前半を過ごした人間が、そんなこと なくなったきっかけは思い出せないけど一つ心に残ってることがある。 いわゆる弱い子がいた。 彼をいじめるグループがいた。 気まぐれだったかなんかよくわからないけどいじめる奴らを諌めた。 なんてことないことだったと思う。 そんなことも完全に忘れていたある日その助けた子の親と会うことがあって言われた 「うちの子が助けてくれたってうれしそうに言ってた、優しいね、ありがとう」 まあ多感な頃というのはそういう言葉も気恥ずかしいもの、適当にはぐらしながらの ほんの少しの時間だったと思う。 でもそれから考えるようになった。 目の前にいる奴は自分よりも弱い、小さい奴だろう。 でも家族もいれば親戚、友達たくさんの人に囲まれている。 他人から見ればどうだっていい奴かもしれないけど、大事に思ってる人がいる。 それまではケンカが強い、力が強い、運動が出来る、勉強が出来るそんなことだけ が価値観の中心だったのが少しずつ変わっていったように思う。 「いい奴」って言われること、「あいつがいないと面白くない」そんな風に言われ たいと思うようになった。おいらなりの結論は味方を増やし敵を少なくする。 そのためには自分が引かなければならないこと、我慢しなければならないことが 多い。まあ最初はなかなか難しいけど時間が経つと評価してくれる人がぽつぽつと 現れるし、逆に言いたいことを言ったり、感情むき出しでストレス発散するような ことはその場ではよくても後々大損になってしまうこともわかってきた。 計算高いという人もいるだろうけど、計算だけじゃあ無理だね。 そんなのはお見通しすぐにばれる。やっぱ完全に変わらないと・・・ いじめをする人にこう話すとわかってくれる人がいる。 自分が関わる子にはいじめる方にもいじめられる方にもなってもらいたくない。 でも思い返すとある程度の力も必要ですわ。 いじめる奴は計算高いからはむかえない者や弱いとこにいくから。 来たらてめえもただじゃおかないという迫力は確かに必要。 強くそして優しい人間になりたいもの。 ・・・でも、まだまだ注意されてるなあ。 今年もご迷惑をかけました!来年もよろしく!(^^) お互い自分の身近な人にだけでも優しくできる人になりましょう!