ちょっと前の話になってしまうけど首相が国会質問でカップ麺の値段を 聞かれるというニュースがあった。 400円と応えて話題になったけど、これについていろんなコメントがあった。 印象的だったのは「関西ではこの問題が新聞の一面に載っていたけど関東では なかった。」「そんな値段なんて私も知らない、大体一国の首相が何でそんな ものの値段まで知る必要がある」「質問が下品だ、もっと他にあるだろう」 などが心に残っている。 最初は正論だと思っていた。 確かにアメリカの総理大臣がどれだけの社会の相場を知っているだろう。 カップ麺のことよりももっと大切な問題がある。 でも時間が経つにつれやっぱ違うと思うようになってきた。 こういう瑣末と思われる問題を知らないから、無駄とか常識はずれのことが 普通にできてしまうんじゃないかな。 電車やタクシーの初乗り運賃、ワイシャツのクリーニング代、一ヶ月の平均 電話代や水道代に電気代、アルバイトの平均時給、生中の値段・・・ もちろんオイラも知らないことはある、でもその中で生きている。 知らない人はその中で生きてない人で値段なんか知らなくていい、知る必要も ないという人たちなんでしょう。 コメンテーターはまだ我慢できるけど、世の中の一般社会の人たちの相場も 知らない人たちが政治や行政で相場を決めるとしたら、やはり普通じゃないと 思うし、絶対にやってほしくない。 会社でも世の中の動向を考慮して売値や仕入れ値、人件費を決めるのに何で 税の相場を勝手に決めることができる? 歴史でも殿様が現実を知らないで飢饉や不作でも年貢を取り立てるから、一揆 や革命が起きてきたでしょう。 そういうのを読むとみんなが思ったはず。 民衆のことを考え、殿様も倹約し年貢も少なくすれば丸く収まったはず、それ を一年でも例外や甘い顔をすれば・・・なんて考えるから。 今の時代に多くの人が不満を持たないなら、値段のこともどうだっていい。 でもガソリン代、高速代、就学費用、食事代、・・・みんな深刻なときに 無頓着な人がやってうまくいくわきゃないよね。 もしおかしいと思うならそういう生活をしてる人たちに一票を頼まないで ほしい。値段を知らなくても良いと言う人たちにだけ頼んでください。