世の中にはいろんな立場があっていろんな考えがある。
考え方を変えず頑ななまでにいくと「一本筋が通っている」といわれるが
「頑固」「頑強」「頑迷」だともいわれる。
考え方を変えると「柔軟」「適応性がある」「協調性がある」といわれるが
「コロコロ変わる」「変節した」「自分がない」などともいわれる。
はたしてどっちが正解なんでしょう?
昨夜の話し合いも根本はそういうことだと思う。
そもそも会議とか話し合いはお互いが歩み寄るためのもので、どちらか一方の
意見しか通らないとなると物別れか喧嘩別れということになる。
自分の意見が100%通ればいうことなしだけど、そんなことはまずないし
そうするためには努力が必要。その努力は一日二日や一度の話し合いでできる
ものじゃない。ただし信用や信頼は一度の出来事で無くなってしまうから怖ろしい。
オイラは世代差を感じる。
年配の人は頑なだし、団塊は頑固でその後の世代から徐々に話し合いとか多数決
の論理が働き出している感じ、とにかく上の人たちはダメだなあ。
とはいえ、一番多くの共通した意見は今回のような重大な出来事にまったく
参加してないような人たちで、一番信用をなくしたのはそれらの方々でしょう。
外野でそ知らぬ顔をし、何もないように過ごしているけど一番の標的になって
しまった感じで、オイラはそれが一番恐ろしいと思った。
とにもかくにも町は大きな交差点に来て今後の道筋を決めるとき。
そんなときに見知らぬ顔をするのは社会人として失格、住民として失格だな。
そんな人間にはなりたくないよ。