日本は誰もがご存知のように法治国家、人が裁くのではなくきちんとした
法律のもとに統治されはずれると罰則のある近代国家です。
殺人や強盗をすれば文句なく逮捕されますが、一般人ではスピード違反や
税金の滞納、ちょっとしたトラブルでも法が適用されます。
ペナルティを課されることもあるけど、安心して生活できるのも法律があり
それが適正に実施されているからこそで、このルールが壊れてしまうと他人に
対する信用や安全な生活の保障も揺らいでしまうことでしょう。
ここにきて千葉法務大臣が二人の死刑囚に死刑を適用しました。
どんな奴かと思いきや6人を縛って放火した犯罪史上でも残酷な奴で、そのく
せ日本の死刑は残酷などとほざく人非人、死刑がいつまでも行われない事情に
遺族の忸怩たる思いが想像できるというものでした。
もう一人についても残虐性は常軌を逸してる感じです。
今の死刑は昔よりも慎重に下され、広島の事件も犯人は無期懲役になりました
し思っている以上に判決は下されていません。
死刑廃止という言葉を唱えるのは心地いい。
善人のようだし人権に篤く穏やかな印象を受けることでしょう。
逆に死刑存置をいえば非情、冷酷といわれるかもしれません。
でも最初に述べたように死刑は日本の法律に明記されたものであり、適正に
法律が執行されないとルールの屋台骨が崩れていくと思う、
極端にいえば「あなたスピード違反ですよ」と捕まっても、それなら法律の
親玉がきちんと法を執行しないことの方が重要な違反じゃないかと多くの
国民が言い始めたらそれこそ大変なことになるでしょうね。
個人の思いや意見は総理や大臣になったら封印すべき、それはフランスの
ミッテラン大統領が核に反対していながら「元首になったら別」と宣言した
ように重く尊く判断がなされるべきでしょう。
今回のような物議は死刑廃止法務大臣が就くといつもなされますが、そこで
議論されるなんてあまりにも侮辱している。
それは法治主義ではなく完全に人治主義で怖ろしい話といえるでしょう。
話の焦点は死刑云々じゃなく、そういう人が法務大臣になることなんだけどね。