2012年09月15日

祭りは人の為ならず

今日は地元の秋祭り、御輿をかついでフラフラになって帰りました。 天気も暑くなったり涼しくなったりと差が激しかったです。 最近はいろんなOO離れがあり、祭りに参加する人も少なくなっていて すごく寂しいと感じますね。こういうのも日本の教育が宗教行事をないがしろ にしてきた結果ではないかと感じてしまいます。 なぜなら教育者というのはこういうのに参加しませんから。 地元に祀られている神様のことを産土神(うぶすなかみ)といいます。 字を見るとわかるようにお土産の由来もここから来ています。 どうしてこのことを知ったかというと、ある日神戸で食事をしたときでした。 「君のところの産土神は何?」て聞かれ「八幡さん」と答えると、「気性の 荒い神様だよね、しっかり祀らないと、でもご利益も大きいよ」 「そういうのは大事にしないとね」「大事にしない土地は発展しないから」 オイラは信心深い人に比べればそうでもなく、信心深くない人に比べれば 信心深い方だと思います。またこの世における人智を超えた世界については よ~くわかってます。そういうのを知れば、ご先祖供養や祀り事、神事は まったく苦じゃありません。 それよりもやらない人は逆に凄いなって思います。 オイラは恐ろしいし怖いし・・・ よくあるのが「何のご利益もない」と言う人、こういう人は必ず何年かすると 凶事が身に降りかかります。それは病気だったり、争いや貧困などなど・・・ 決して神罰でもなければ悪霊でもありません。 つまり見えない世界を信じるということは、生きていく上で他人に優しくした り、思いやりのある行動をする気質が知らず知らずあるものです。 「宗教だって争いがあるだろ」ていうのと少し違い、ご先祖供養や神事に たずさわる程度の信心くらいで構いません。それすらないのが問題! また他人への慈しみやいたわりは確実に返ってきます。 その逆で大儲けしたり、良い事があっても感謝の気持ちがないと徐々にダメ になっていくでしょ、これも祟りとかじゃなく他人から妬み、僻み、嫉みを 受けることが遠因だといわれているのは知恵の一つじゃないかな。 調子がいいときに自分の実力、自分だけの力とうぬぼれると落とし穴がある もので、シャープの社長が最近では良い例になっているし、IT社長連中の 凋落ぶりもなかなか絵に描いたような話です。 信じるか、信じないかは別にいい。 結局はその人自身の問題であり、いずれ自分に跳ね返るだけですから。 ただ人間の長い歴史の中で日本だけじゃなく、世界でもいろんな見えない世界 への畏怖や尊敬があるのはなぜなのか考えないと。 科学が進んでない時代の話?いやいや今だって科学は進んでないでしょう。 もっといえば人間が存在している不思議、動植物が進化していく不思議、 自然の、宇宙の・・・一体どういう風になっているのか。 話はかなり逸れてしまったけど、祭りに参加してよかったです。 しんどくて疲れたけど、同じようにがんばった人、それを見てくれた町の人、 どう受け止めてくれるかは書かなくてもわかるでしょうから。

taka1346yu at 23:38│TrackBack(0)わたくし事 

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