今夜はオイラが参加している少年サッカーコーチの忘年会です。 さてさて・・・ 少年スポーツに関与しているのと、学校に直接関係してないことで逆に多くの 情報が入ってくる。良いことも悪いことも誰かに話し、それが拡散することを 恐れる人もいるから、オイラみたいな立場にはちょうどいいんでしょう。 そんな中、一番悲しくなるのがどうしようもない子。 いわゆる社会性がないというか、悪さをする上に周囲と適合できないような 感じで、昔ももちろん悪さをする連中は山のようにいたけど、そういう子の方 が背伸びしたくて早く社会に出たい傾向が感じられたものです。 しかし今は逆・・・どうしたものか。 それらの話を聞いていて思い出したのが、少年時代つまり小学生の頃に団体 スポーツの経験があるかないかが、微妙に関係しているというものでした。 これについては半信半疑だったんですけどね。 けっこう長いこと少年スポーツに携わっていると、ある程度経験やデータが 積みあがってきましたから、オイラ自身も判断できるようになりました。 そしてその可能性があり得るということも。 中学では部活が強制されることがあるため、中学からはやってる人も増えます。 しかし小学校時代は強制じゃないし、指導者は学校の先生じゃなく近所の大人 がコーチというパターンがほとんどでしょう。 そこに大きな差があると見ています。 どういうことかといえば、小学生だと大人の介在が必須で、送り迎えや応援 など保護者への負担がかなり大きい。またコーチは先生じゃないから接し方 が学校とは違うのはもちろん、多くのチームを見ても教え子というよりも 将来の近所の宝として考える方が多いです。つまりは一生の付き合い! 保護者もたいへんで、中には嫌だけど子供がしたいから我慢してる人や、逆 に親が熱心で子供は嫌がっているけど通わせている場合もあります。 キーワードは「嫌々ながら」なんじゃないかなと。 中学あたりで登場する問題親を観察していると「嫌なことはさせない」 「子供の言うことを信じすぎる」「家庭内では良好な親子関係」という傾向 を感じました。ですから子供が悪いこともしても信じようとしません。 スポーツなんかだと親が応援に来れば、自分の子供のレベルがわかります。 ほとんどの親は自分の子が出来ないことに衝撃を受けますね。 それは当前で体も出来てないし、比較が近所の子だけだし。 ただコーチは長年見てますから「伸びる」「才能がある」スポーツはダメ でも「きちんとした子である」など親とは違う評価を子供に与え、最近の コーチングのほとんどが「誉める」ことですから、知らず知らず自信を与え 子供たちの自主性や社会性を育てる一助になっていると思うんです。 その大事な時期に嫌がるからさせてない、もしくは辞めては次辞めては次と させてしまうと、我慢ができないとか、攻撃性を抑える精神的熟慮や理性が 育ってないとか、最終的には同級生とは交流できても上下関係が希薄になり、 言葉使いもできなくて社会に適合できないような子になってしまう感じ。 忍耐、協調性、コミュニケーション能力・・・社会で必要なこれらを一番 重要な小学生までの時期に植えつけていないと致命的だと思います。 すごいと思ったのは、少年スポーツで成功しなくても、また地域外で友達が いないにも関わらず参加しがんばった子は独立心が育まれるのか、その後 成功している例をたくさん見ましたし、大人になると周囲から可愛がられる 子も多い傾向にあります。 中学でも保護者や教師以外の社会人と接触する機会に恵まれた子はまだしも、 そうじゃない子の末路は書かなくてもわかるでしょう。 昔の人たちの言葉「鉄は熱いうちに打て!」ほんとその通りだと思います。 早くしないと未来の宝もただのクズ鉄になってしまいます。 なにはともあれ、親の判断と決断が一番でしょうけど・・・子供の罪は少ない というのもオイラの見方です。