またまたネット上に暗澹たる気持ちになる教師の暴行動画があがっていた。 日ごろから日常茶飯事なんでしょう。 待ってたとばかりに撮影されているのを見れば、たまたまではなく、いつもの ことになっていたとのがわかります。 映像では13発叩いていたそうだけど、叩かれていた子はビクともしてなかった。 ビクともしてない、つまりは叩いても効果がないことがわかる。 そうなると叩くことの意味は指導教師の自己満足? 声を荒げ、子供を威嚇し、スポーツの場を戦場と変える。 スポーツに教育的指導をあげる者たちがいるけど、そんな光景みたことがな いというのが、学校スポーツに関わっている人の意見じゃないかな。 だいたいこれだけ世の中で体罰が問題になっているのに、いまだに続けている 異常者がいるというのが恐ろしい。その時点で心が病んでいるとしか思えない し、教育組織もおかしい。 スポーツの指導でたくさんの学校、教師、生徒を見てきました。 ガタイがいいのでいつもやんちゃな子を押し付けられるけど、問題は一度も ないし、これからもない自信がある。 そして先のような声を荒げる教師に何人も会ってきた。 観察してわかったのは、この人たちは生徒には居丈高だが、一般社会人であ る我々には挨拶もロクにできない小心者が多いことに気づく。 つまり自信がないのだ。 社会人としての自信、教師としての自信、人間的な自信のどれかがあれば、 他人に対して余裕が出来るはず、威嚇する必要も威張る必要もない。 逆をいえば、世の中で他人を威嚇するのはそうした自信がない連中だという のも理解できるでしょう。 その自信というのは、指導者だと「教え方が上手い」「人間的に魅力がある」 「実力がある」ということをあげます。 これらを満たしていればほとんどは大丈夫なんだけど、こうしたのがないと 「実力のある子を輩出した」「優勝もしくは強豪校」という他力本願的な 別の価値で自分というものを偉いという風に見せようとする。 何度も書いてるけど、早く学校からスポーツを切り離してほしい。 昔と違いスポーツ経験者や指導が上手い人は一般にたくさんいる。 また子供にとっても一部の大人にしか接しないよりも、いろんな人と会い、 話を聞くことで人生のヒントを見つけた子もたくさんいた。 どういうことかといえば、学校だと勉強とか進学とかしか知らない先生が、 それらが優れた子達にのみ目をかける。 しかし、一般人はいろんな職業の人がいて、子供たちへの相談に乗れるし、 大人がスポーツを楽しむ姿は将来の自分にも当てはまるため、社会人にな るとチームに来たり、その競技を続ける子も多い。 東京五輪に賛否を投げかけている記事のほとんどは原発や震災復興だけど、 オイラはメダル至上主義、学校スポーツ、勝利至上主義を克服しない上での 五輪なら反対したくなる。 韓国が冬季五輪を危うんでるらしい。 興味深いのが日本よりも冬季のメダル獲得数が多いけど、そのほとんどが ショートトラック、フィギュアで他の競技は皆無。 日本はメダルが獲れなくても多くの競技に参加しているし、入賞は多い。 そっちの方がいいと思うな。 とはいえ、日本も強豪だった競技に金属劣化がはじまっている。 こちらでも学閥とか、出身閥、地域閥みたいなものがあるしね。 一応体罰も入れておくかな、そういう「バツ」をなくしてほしい。 来月またリレーマラソンに参加します。 たぶん参加者の中でもびりっけつの遅さです。 自分が弱い立場になることを経験するのもスポーツ指導者として大切だと 思いますね。弱さを知ると強くなれるものです! なんか、自画自賛と思われるかもしれないけど、体罰は一度もしたことはあ りません。もちろん怒ることはあるけど、叩くなんてないですわ。 なにせ本気になれば、確実に怪我をさせるのはわかってるんで・・・ よく子供たちがため口で話しかけてきることがあります。 それを見る罰思考の連中はすぐに「怒らないのか」と言ってくるけど、数年 したら自分から敬語で話しかけてきますよ。 いつ、どのタイミングで、どういう指導をすれば効果的なのか。 そして一番思うのは指導と調教は別であるということ。 子供はカワイイと思えば、裏切られることはないでしょう。 自分を好いてくれる人に反抗はしても、人として裏切らないというのが人間 の付き合いだと思いますね。 子供だ、子供だと思ってもあっという間に立派な大人になります。 いつの間にか、こちらを完全に抜いてしまう。 こちらを見下げても、なつかしい、うれしい目で見てくれるのを体験すると なんとも言えない気持ちになります。