バラエティ番組を見ていたらある俳優さんが学校でお母さんに関係する動揺を歌う時が辛くて・・・
という話をしていた。彼の母親は幼少の頃亡くなっていたそうだ。
そういえば動揺には「母さんがよなべをして~」「あめあめ降れ降れかあさんが~」のようにけっこう
多い。確かに辛かっただろうというのは想像に難くない。
また母の日が近いが、そういうときになれば顔を書いたり、父の日にしてもそうだろう。
学校は傷つけるつもりはなくてもそういうことがある。
特に最近は離婚が多いこともあり、どちらかの親がいなくて運動会や遠足、学芸会のようなものも
厳しい家庭があることでしょう。
そして私が聞くのはそういうことばかりじゃないんだけど、自分の家ができないことは他の家庭も
しないようにという提案が多いという話。
OOをしようというと参加できる家、出来ない家があるとする。
特に親はどうでもいいという場合でも止めさせようということがあったりするのだとか。
確かにいろんな事情がある。
先のような家庭の事情、経済事情、仕事の時間・・・
ただそういうことばかりで何もかも中止していくとどうなるのだろうか?
我が家も他の家庭とは同じように出来なかったことというのがある。
それなりに傷つきもしたが「我が家は我が家、他の家は他の家」という考えを教えられ、ある年齢に
なれば自然と理解できたし、そのことで強くなった自分も感じる。
よくよく聞いてみると他の友達たちもなんらかの事情があり、すべてにおいて満足いく参加や親の
助けが可能なことばかりじゃないようで、みんな何かに傷ついたり、悲しい思いをしてきている。
みんないろんな経験をして強くなるんだなあと思いましたね。
社会に出れば学歴・出身地・性別・年齢・仕事・経験・・・いろんなことで傷つくことがある。
攻撃の手は容赦なくやってきますし、守ってくれる人など誰もいないところにいかなければならない
ことを経験することは誰もがよくわかっていることでしょう。
ただある程度強くなっていれば自分なりに対処できることを覚えています。
ずっと守られてきていたらどうなってしまうのか。
今、多くの子供と接する機会が多いけどたいへんな家の子もいたりします。
でも、ずっとやって来てくれる子はほんま強いし、明るいし、元気!
ときに厳しく、ときには誉め、一緒にいるときは楽しくいてあげたいと思いますね。
他所の子でも地域の子は一生なにがしらかで関係してくるでしょうから。
「ええか、強くならなあかんぞ、なにかあったら俺がいると思え!」
その言葉は自分自身にも言い聞かせてるようにも思う。おいらも強くならないと、まだまだ・・・