少し違った話題のミカタ

注目の話題を中心に少し違う目線で感じたままを語ってます 暖かく広い心でお付き合い下さいm(__)m

2013年04月

寒い~ なんで、この時期ってこんなに寒かったかな。 この前はすごく暖かかくなってTシャツを引っ張り出してきたというのに。 あと暖房器具もいくつかは片付けた。ん~ちょっと早かったな。 冷静に考えれば衣替えまでまだまだ先の話、逆に暖かいのが変? ちょっと調べたら、うちらのとこは平均が12度前後だから、やっぱまだまだ 暖かくはないのかもしれない。 Tシャツは20度以上がいいくらいだから、逆に暖かかった日が異常だったと いうことになるんでしょう。 それにしても体調管理が難しくて仕方ないよ。 GWが近づいてきた。 そうだ、例年ならこの時期まで山に雪があるからね。 今年はほとんどない、やっぱちと違うな。 そろそろ運動したいから、せめて晴れてほしいけど、天気もあまりよくない。 どちらかといえば寒さ好きだけど、年とともにそうでもなくなったな。

「なんで最近の若い子はズボンを下ろしてパンツを見せたがるんだろうね」 近所の人が眉をひそめながら、オイラに話しかけてきました。 そこで答えたのが「あれはアメリカの刑務所のファッションなんですけどね。 刑務所ではベルトが凶器になるんではずすんですよ。それで自然とズボンが ずれてしまう。それがギャングや黒人ファッションになったんですけどね」 それを知れば、あんなのがカッコイイかどうかくらいわかるでしょうと付け 加えておきました。つまりはネット言うところの低脳やろう、DQNのやる ことなんです。 ちなみに、オイラの関わるサッカーやなんかの子供たちにその説明をすると かなりの確率で止めてしまいます。 単にカッコイイとか、友達もやってるからなんてえのに流されるようじゃ、 そういう子の未来は他人に流さ、自我の形成もままならないでしょう。 キーワードは友達なんですよね。 類は類を呼ぶとはいえ、高いレベルで切磋琢磨し合う仲間なら、何もいうこと はありません。しかし先のようなことや深夜徘徊、喫煙、飲酒など悪ぶりたい いわば、低いところに流れる水のような仲間は最低です。 また同じようなファッションや物でつながりを確認しあうなんて、オイラは 絶対に嫌です。今でも集団やユニフォームとかも嫌いなタイプなので、右に 倣えというか、同じ思想集団とか嗜好の集団と思われたくないです。 だから、友人と集まってもてんでバラバラのファッションとか、その場は同じ 趣味で集まったとしても、それぞれがまた別の趣味や人間関係、特技を持って いるようなグループの方が、知らない話を教えてくれることが多く、話しても 有意義なことが多いですね。 そういうのが自分とは違う人を排除する傾向を生み出すのじゃなく、他人を リスペクトし、仲間を増やせる秘訣だと感じます。 ですから「えっそんなの好きなの信じられない」「そんなんどこがいいの」 なんていうのが口癖の人は永遠に増やすことは出来ないでしょう。 心の中ではそう思っていいけど、口に出すのは損。 そうは思いつついろんな話を聞くとけっこう得することが多いです。 また意外なところでつながっていたり、時には別の人を紹介してくれること もあったりと目先の付き合いよりもその先ですよね。 ん~良いこと書いてるけど、これが女の人には利用できなかったな。 そうすればもっと異性の方の交友関係が広げられたのに・・・男ばっかや。

新学期、新学年になって二週間ほど経過しました。 最近の若い人たちはコミュニケーションの積極性がないと聞きますがはたして どうなんでしょう。 驚いた話題では便所メシというのがありました。 何でも学食で独り食べるのは恥ずかしいから、トイレに入って一人で食べると いうもので、同意も出来ないし信じられません。 オイラたちの時代は上の人たちが「集団でしか行動できない日本人」という レッテル貼りをされたこともあり、また戦後の個人主義も浸透してきた頃だ ったので自立でき、孤独に強く、個性的なことを目指す人が多かったものです。 だから友人もあるカテゴリーのみで集団を組むだけじゃなく、あるときはバイ ク好き同士、あるときはバイト、スポーツ、飲み仲間、麻雀・・・と幅広いし 個人でどこにでも所属していくバイタリティがありました。 だから学食で誰か一人が食べていれば、そこに声をかけて二人になり、また また他にも加わって気づけば大人数になっていたものです。 当時は連絡手段がありませんから、待ち合わせは適当な感じ。 Aならは噴水前、BならOO館の食堂、Cは喫茶店など、いろんな場所に分か れていてそれぞれ会いたい場合はそこに行くのが通例でした。 オイラは同じクラスの親友と二人で行動してたけど、どこかに行けば必ず誰か に会って、帰る頃には5人以上になっていた記憶があります。 それはあなたがコミュニケーションが上手いからだよ。 と言われるかもしれないけど、当時は7割近くが年上だったので、上下関係に 厳しい者としては、いくら同級生でも気軽に話しかけられませんでした。 ただ自分でも孤独には強い方だし、時間が立てばいろんな人と友達になれる タイプなので、あせらずじっくり仲良くなれればいいと思ってましたね。 逆に早く友達を作ろうとすると、目立つ人や社交性のある人が有利だけど、 長年の経験では最初にとっつきにくいタイプや話しかけにくい人に良い奴が 多くて、前者の八方美人的な人は、親友にはあまりいません。 今でもスポーツを指導するとき、たまに話します。 友達に流されないで、孤独に強い人間になれよって! でも、それは協調性がないとか、自己チューというわけじゃなく、やりたい ことがあれば他人に影響されることなく切り開いてほしいという願いからです。 現に小学生くらいから、嫌々ながらでも友達が少ないけどスポーツに参加し たり、塾に行ったりして強い子は後々成功してる確率が高いですね。 友達の数より質だし、そう考えていた方が知らず知らずのうちにたくさん できているものだと思います。

最近、在特会デモが発端となり、シバキ隊とかいうのとやりあってる。 これを観察していると問題の根深さを感じて仕方がない。 通名やナマポなど、いろんな優遇があるという人たち。 そこまでは優遇されてないよという人たち。 しかし脱税問題は周知の事実だし、OO枠とかいうのもあるし、昔よりは少な くなったと思うけど、ないとは言えないと思う。 特に凶悪犯罪に関しては率が高いというデータもあるし、だいたい反日ばかり 叫ぶのなら日本にいなけりゃいいというのが日本人の考えだと思う。 日本人も数多くの人が海外移住したけど、その多くが現地の人たちと友好的に 交流し、尊敬を集めているという話を聞く度に目頭が熱くなる思いだ。 一番に謝罪と賠償ということが出てくる。 ご存知のように日韓基本条約で終了したけど、彼らの言い分によくあるのが、 当時は問題視されてなくて、後で問題になったものだからという論がある。 そういう心配もあって日本政府は通常以上の賠償をした。 当時の国家予算の倍というものだったのも有名な話だ。 それを一部の人がインフラのために使ってしまったというのも事実で、被害者 に行き渡ってないと思うけど、そこをどう考えるべきか。 もう年月も経ち、証人も少なくなり、被害を受けた人も加害者もいなくなりつ つある。そんな中、子孫にいつまでもああだこうだと言ったり、言わせたり することについて恥ずかしくないのかというのがオイラ個人の考え。 また都合の良いときは未来志向、そうじゃないと反省しろ!なにそれ。 日本も原爆や大空襲で数多くの人が亡くなったし、オイラも親戚がたくさん 死んでしまった。戦争を仕掛けた側だからという意見もあるけど、だからと いって一般市民が殺されても良いんだろうか。 それならばシリアや中東、アフリカで今現在たくさんの被害者がいるけど、 そんなの関係ないよと言ってるに等しいと思う。 そうやって考えると韓国人へのもやもやが募り、なぜなぜなぜ?と思って いたら、先日評論家の屋山さんが興味深いことを話していた。 「韓国人とは付き合わないほうがいいですよ。彼らにはどちらが上か下かと いう考えしかないんだもん。日本は戦争で迷惑をかけたから謝れでしょ。 そして謝ったらこちらが上だから賠償しろ。そういう考えしかない人たち」 なるほど、そう考えれば納得がいく。 そういう国民性なら平行線は当たり前、自省もないしね。 今回のデモもヘイトスピーチなんていう造語で対抗してるけど、ならば 旗を焼いたり、踏みつけたり、もっと酷い行為はいいの? そういうのにも反省を促すような意見が内部からあれば多くの日本人も少し は冷静になれるだろう。でも、そういうのないよ。 日本は何かっても賛否両論の意見が出る。 在特会デモでも「死ね」とか「ゴキブリ」なんていうのはオイラだって いき過ぎだし、止めさした方がいいと思う。 怒りばかりにとらわれた人間に絶対に未来はないからね。 それ以上に、謙遜し、譲歩している相手にこちらが上だとさらに踏みつける ようなことしかしない連中をそろそろ許さない方が良いと思う。 図に乗る相手には容赦しなくていい!そういう人たちとは未来志向では付き合えないし。 仏の顔もつうやつですね。 自分が正しいなんてどこまで言える? なぜそうなったか、熟慮できない相手、相手の言い分も聞けない人は残念 だけど排除されても仕方ないでしょう。あとは人権屋くらいだろうな。

ネットにあがってた話題で、なんでもフジテレビの2時台のワイドショーが 前回の不調の轍を踏まず2%の絶不調なんだとか。 確かみやね屋が人気だから、同じようなものを作ったと思うんだけど、さすが オリジナリティに欠ける局だと思う。 視聴率三冠王なんてもてはやされた。それは逆にしばりとなり、フジ自身 の売りだった斬新、チャレンジ、驚嘆を奪ってしまった。 局の就職人気が上がるとスポンサーの関係者、著名人の子息など縁故採用が 強まり、それはそれで特に異論はないけど、在野精神が無くなったと感じた。 ボンボンやお嬢ちゃんばかりの会社がどうなっていくか。 しまいにゃ、韓国ごり押しくらいしか出来なくなり、「嫌なら見るな」の傲慢 さもあって、本当にみんな見なくなった。 オイラも関西テレビ系の番組くらいしか見てない。 ここから変るにはよほどのことがないと無理でしょう。 何でも株主総会前に大改革が予想されているけど、不調なのに25年も居座る 会長がそのままだとしたら、な~んも変ることはないでしょうね。 同じテレビの不信で耳にするのがNHKの大河ドラマ。 はっきりいって個人的に歴史モノはつまらないと感じる。 歴史は変らないし、受け取り方や解釈で楽しめるという人もいるけど、そうい うのはごくごく少数派でしょう。 多くの視聴者は脚本やストーリーに期待するのであって、黒澤監督でさえ映画 は本(脚本)で8割決まるって言ってたくらいだから。 それなのにテレビの勘違いは出演者で数字が取れると思っているからイタイ。 関係ない証拠にNHKの朝ドラが好調で本は宮藤勘九郎で主役は無名の新人。 つまりストーリーが面白ければ他は二番煎じともいえる。 最初のワイドショーもそうだけど、内容なんだよねえ。 いろいろ観察するとテレビの失敗は思い込みじゃないかな。 テレビを見る層はOOOだから、それに合わせた番組を作るみたいに、そん なことをしてたら新規開拓はないですよ。 アップルの名物CEOだったスティーブ・ジョブズ氏も、「製品をデザインす るのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せてもらうまで,自分は何 が欲しいのかわからないものだ」と語ったように、作り手がプロ魂を持って これをお薦めするという気概が必要。 前例やキャスティングに惹かれるものは何もありません。 最近では出演者のコメントが多すぎ。 それよりもこれだけツィッターが発達したのなら、もっとそういうのを使った 方がいいと思うし、そもそも素人参加番組が激減した。 オイラの周囲では地元がテレビに出ても誰も何もいわなくなりました。 以前なら「O日の何時からやるよ~」なんて連絡が来たものです。 その原因は話題があるから取材するのではなく、ネタを探し、大したもので なくても採用しているのがバレたからでしょう。 つまりテレビの情報が、情報としての価値をなくしたということです。 「美味しくない」「大したことない」「つまらない」そんな否定的な言葉が 出てくることはありません。そういうのは有吉くらい? とはいえ、何でもそうだけど落ち目から這い上がることもあります。 もちろん今のままでは無理だけど、そういうのが出来る日が来るかな。 批判やスポンサーの意向、視聴率ばかり気にしているはなさそうですけど。

またまた、なんちゅうことをしたんやろ。 笑うに笑えないようなことをしでかした大学生の事件、しかも関西ではトップ クラスの大学に通う人たち、なんだかなあ・・・ こういう事件を見聞きするといつも思うことがある。 特に武勇伝ぽくネットに「証拠」をあげて炎上する人たちに共通するものなん だけど、そこに至るまでなぜ誰も忠告しなかったのかな、とね。 そりゃあオイラだって偉そうなことは言えません。 今回の件で上から目線で語っている人たちの中にも、若気のいたりでいろんな 悪さやケンカとかスピード違反、一昔前なら飲酒運転なんかもしたりと、彼ら に対してどこまで言えるのか。 二つのことがよぎったんですけど、諌める人は周囲にいなかったのか、そう いう注意を素直に受け止める気持ちがあったのかどうか。 それが大事になる人とならない人の分岐点だと思います。 一つ目では大学生なら先輩、同級生なんかがそうでしょう。 よく学生気分という言葉が使われるけど、世間の怖さや法的罰則も知らない時 だし、二十歳前後の頃は尾崎豊の歌じゃないけど 「♪誰かの喧嘩の話にみんな熱くなり 自分がどれだけ強いか知りたかった  力だけが必要だと頑なに信じて 従うとは負けることと言い聞かした 友達に さえ強がって見せた 時には誰かを傷つけても~」 この歌詞に集約されている一言でいえば「強がる時代」それを諌めてくれる 存在がいるかどうかで人生かなり影響してくると思う。 先輩もそのまた上の先輩から叱られ、オイラもまた後輩に伝える、そうした 連鎖の中にいられる人はある意味幸せだとも。 そして二つ目はそうした人がいても自身が気づいたり、聞く耳を持たないと 何にもなりませんからね。今回の学生は自身も反省し、親に叱られ一緒に 謝罪に行ったそうだから、オイラとしてはそれで終了でいいと思う。 もし何かペナルティを与えるなら福祉ボランティアがいいんじゃないかな。 あれやこれやを考えるとオイラ自身もよく怒られてきました。 ネットで掲示板を運営してた頃、激怒して我を忘れ罵詈雑言を書きなぐり、 何ならケンカしてもいいくらいの勢いを たくさんのネット仲間が同調ではな く「悲しい」「止めろ」と諌めてくれました。 何より、いつも私の味方をしてくれた当時の超人気サイトの故ひろあにさん から、かなり叱られたのは今でも忘れられないし感謝しています。 近所の先輩にも徹底的に怒られたりもしました。 ただ自分なりには注意されやすいキャラだったと自負しています。 今では後輩からさえもずけずけ言われていますしね。 いつまでも子供っぽいのが情けないですが、少しずつ大人になっていくもの で、最初から大人になってはそれはそれでツマラナイですよ。 とはいえ、この聞く耳持たないのがモンスターになってますよね。 人との和の連鎖からはずれた人たちでもあり、悲しく寂しい人たち。 怒られなくなったら人間終わりだな・・・

最近不愉快に感じるCMがある。 ドコモのスマホ割なんだけど、ことさら学生割を強調するもので、家族のジジ、 ババをはじめとした全員が学生の子どもに媚びているものだ。 確かイチゴを食べさせながら「我が家の学生様」なんて言ってると思う。 なにせ気分が悪くなるからじっくりは見てないんだけどね。 日本はつくづく子供を持ち上げるサービスとか文化が多いといわれる。 そのためいろんな場所で興味を持ちそうな企画や商品を見かける。 子供を大事にすることはとても良いことで異論はないけど、行き過ぎてしまう と子供や学生のままの方がいいと錯覚してしまう風潮を作る危険性を感じる。 社会人になることへの損した気分、なりたくないと思う気持ち・・・ 多くの施設でも幼稚な子供相手にしたものを見かける。 海外では早く大人になりたいと思わせるような文化だと聞いた。 例えば日本はファミレスに代表されるお店があるけど、海外では基本子供を 公共の施設に連れて行くようなことは避ける。 日本人よりも家族を大事にする国も、よく観察するとキャンプとかBBQなん かで楽しむけど、レストランのようなところに子供は少ない。 また繁華街でも社会人を多く見るけど、日本では学生の率が高い。 それがいいのか悪いのかはわからないけど、成熟してない感じがする。 もっと大人が楽しんでるような社会の方がいいんじゃないかな。 子供を守るというのと、子供中心の社会は別物だと思う。 オイラもスポーツを通じて多くの親子に関わると、問題が多いといわれる人 ほど子離れができてない場合がほとんど。 早く一人前になってほしいと願う親ほど、自立心や独立心を与えようとし、 好青年に育っていく印象がある。 学生割引自体にまったく異論はないが、そういうサービスがあるから学生様 なんていうのに虫唾が走る理由が少しはわかっていただけたかな。 悪いのは大人なんだけどね。

4月に入ったけど特に何もないなあ。 若い時期は卒業、入学、新学期そして引越しとかいろいろあって刺激的だった けど、そういうのもぱったりなくなってしまった。 相変わらず桜だけは美しい。 そうそう何かで見たんだけど、引越しは親族の死に次ぐストレスになるらしい。 オイラは田舎-京都-東京-西宮-田舎と越した経験がるけど、ワクワクした。 内容ではスーパーや理美容店など新しい店探し、引越しの手続き、仕事と重な ると整理整頓もできなくてちらかったままが続く場合などいろいろ。 ただオイラもそうだけど、そういうのが楽しい人はストレスにはならないし、 自殺衝動にかられる傾向も少ないのだとか。 普段でもドライブして時間がある場合はわざといろんな道を走る。 「ここはどこだ~」って不安になるのが好きでね。 そのお陰で裏道とか、意外なお店発見なんていうのがたまにある。 とはいえ、そんなにストレスに強い人間でもないとい自己分析する。 親友だと逆に「気が小さい」てよくいわれるしね。 そうそう自分でもよ~くわかっているから、そこを脱したいという欲求があり、 大胆な行動や発言を厭わないようにしてきた。 何よりそうしたことをした後に反省をしないというのも自己防御だと思う。 「しまった~」なんて落ち込むようなら逆効果ですからね。 最近の人たちの行動パターンはよくわからないけど、たまに観察するとスマ ホの画面ばかり見ている人たちに遭遇する。 風景を見たり、居眠りしたり、五感を遊ばせてる人よりも、機械に遊ばれて いるのを見ると残念。 そうした人たちは効率を好み、寄り道や無駄な時間を過ごすことはどうなん だろう。もしも出来ないとしたら、先のように環境が変ることもストレスに なりがちなんじゃないかな。 今夜はこれから近所の人たちと無駄話に励みます。 しかしいつも無駄じゃなく何か教えてもらったり、意外な発見をします。 今の人たちも好きだけど、過去にそれぞれの場所で出会った人も素晴らしい人 がたくさんいました。本当はもっと交友関係を広げたいんだけどね。 新天地に行った人たちには是非そういう仲間を作ってほしいな。

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