少し違った話題のミカタ

注目の話題を中心に少し違う目線で感じたままを語ってます 暖かく広い心でお付き合い下さいm(__)m

2013年09月

またまた京都で罪もない小学生が巻き込まれる交通事故。 しかも通勤、通学の時間てどういうこと? はっきりいって、これからの日本で今のままの警察システムは難しいと思う。 先進国では監視カメラが常識なのに、なぜか電子機器先進国の日本が及び腰。 この時期、警察24時のスペシャルが多く、犯人を追いかける映像ほど第三者 に訴えかけるものはないでしょう。 「こんなのさっさと逮捕でしょ」「なにグズグズしてんの」 そう言いたくなるほど人権で苦労してきたんでしょう。 しかし映像があれば簡単に解決するのに、うがった見方をすればテレビカメラ がないところでは、けっこうきつくやってんじゃないの?てなってしまう。 そしてもう一つは通報制度! 今回でも近所の人が普段から、傍若無人振りを目撃している。 そういうのに耳をかさない警察なら、必要ないんじゃないかな。 これを密告なんていう人がいるから、後ろめたくなるだけで事前通告して、 それを警察が確認し、警告するなり、逮捕するなりすればいいと思う。 逆にそういうので、普段から警察との距離が緊密じゃないから、情報が上がっ てこないという現実もあると思う。 大きなことをやる人間は必ず前兆がある。 交通事故にしても事件にしても急に大きなことをやったというのは少ない。 殺人でも「ケンカする声がよく聞こえた」「見てくれが急変した」「今まで 優しかった人が恐くなった」いろいろあるでしょ。 また車に関していえば、違法改造車なんかすぐにいえばいい。 そこを警察に張ってもらい検挙でいいやん。 と、ここまで来て思い出した。 確か京都府警は亀岡の事件を受けて、そういう風にしたという特集をみたこ とがあったけど、やっぱすぐに止めたんだろうな。 そうなるとカメラしかないなあ。 オイラも車載カメラが2000円前後で買えるので、付けておきたいと思う。 結局守るのは自分自身なのかな・・・

台風一過でいい天気になりました。 被害がかなりすごかったけど、それ以上にイライラしましたね。 というのも、警報や避難勧告に対して、なぜ行政頼りにするのか。 命を基本的に守るのは自分自身でしょう。 いくら科学が進んで予報や情報が早く入手できても、最終の判断と行動は 自分がやらなければ他人は守ってくれないでしょう。 なのに、勧告がなかった、遅れた、遅かったって、アホか! じゃあ積極的に役所に電話したり、隣の人に相談しに行ったり、地域の役員 さんに聞きに行ったかといえば、そういうことはまったくしてない。 なぜ待つの?なぜ行かないの? そういうのは何かあった場合に、自分で責任を負うんじゃなくて、他人に 責任転嫁しようとしている感じがします。 中には障害者や独居老人とか、やむをえない人もいるでしょう。 しかし、そういう人が後でごちゃごちゃ言うパターンは少ない。 それよりも行動できる人間の方がだらしない、実際行動できるから後で、ああ だこうだ言うことが出来るんですから。 こういうのはメディアにも責任があると思う。 すぐに行政や行政のトップに責任を問うから。 そっちは言いやすいんだよね、しかし被害者に自己責任だとは言えない。 しかしネットの登場で、一般の意見が出てくるようになると、公的責任と 自己責任について、一般社会の常識から声が上がるようになった。 今回も高齢の人が川を見に行って亡くなったり、USJに行くといって出か け、亡くなった人へは手厳しいものがほとんどでした。 災害はこの先まだまだやってくるでしょう。 兵庫県在住者は阪神淡路大震災以降、災害への対策が数多くなされました。 設備も装備も訓練も何度もしました。 それでも最終的には動く人、動かない人に分かれます。 あなたはどっちですか? 自分の責任において死ぬのはしゃあないけど、他力本願で死ぬようなことに なったら、オイラはその方が悔やむでしょう・・・

またまたネット上に暗澹たる気持ちになる教師の暴行動画があがっていた。 日ごろから日常茶飯事なんでしょう。 待ってたとばかりに撮影されているのを見れば、たまたまではなく、いつもの ことになっていたとのがわかります。 映像では13発叩いていたそうだけど、叩かれていた子はビクともしてなかった。 ビクともしてない、つまりは叩いても効果がないことがわかる。 そうなると叩くことの意味は指導教師の自己満足? 声を荒げ、子供を威嚇し、スポーツの場を戦場と変える。 スポーツに教育的指導をあげる者たちがいるけど、そんな光景みたことがな いというのが、学校スポーツに関わっている人の意見じゃないかな。 だいたいこれだけ世の中で体罰が問題になっているのに、いまだに続けている 異常者がいるというのが恐ろしい。その時点で心が病んでいるとしか思えない し、教育組織もおかしい。 スポーツの指導でたくさんの学校、教師、生徒を見てきました。 ガタイがいいのでいつもやんちゃな子を押し付けられるけど、問題は一度も ないし、これからもない自信がある。 そして先のような声を荒げる教師に何人も会ってきた。 観察してわかったのは、この人たちは生徒には居丈高だが、一般社会人であ る我々には挨拶もロクにできない小心者が多いことに気づく。 つまり自信がないのだ。 社会人としての自信、教師としての自信、人間的な自信のどれかがあれば、 他人に対して余裕が出来るはず、威嚇する必要も威張る必要もない。 逆をいえば、世の中で他人を威嚇するのはそうした自信がない連中だという のも理解できるでしょう。 その自信というのは、指導者だと「教え方が上手い」「人間的に魅力がある」 「実力がある」ということをあげます。 これらを満たしていればほとんどは大丈夫なんだけど、こうしたのがないと 「実力のある子を輩出した」「優勝もしくは強豪校」という他力本願的な 別の価値で自分というものを偉いという風に見せようとする。 何度も書いてるけど、早く学校からスポーツを切り離してほしい。 昔と違いスポーツ経験者や指導が上手い人は一般にたくさんいる。 また子供にとっても一部の大人にしか接しないよりも、いろんな人と会い、 話を聞くことで人生のヒントを見つけた子もたくさんいた。 どういうことかといえば、学校だと勉強とか進学とかしか知らない先生が、 それらが優れた子達にのみ目をかける。 しかし、一般人はいろんな職業の人がいて、子供たちへの相談に乗れるし、 大人がスポーツを楽しむ姿は将来の自分にも当てはまるため、社会人にな るとチームに来たり、その競技を続ける子も多い。 東京五輪に賛否を投げかけている記事のほとんどは原発や震災復興だけど、 オイラはメダル至上主義、学校スポーツ、勝利至上主義を克服しない上での 五輪なら反対したくなる。 韓国が冬季五輪を危うんでるらしい。 興味深いのが日本よりも冬季のメダル獲得数が多いけど、そのほとんどが ショートトラック、フィギュアで他の競技は皆無。 日本はメダルが獲れなくても多くの競技に参加しているし、入賞は多い。 そっちの方がいいと思うな。 とはいえ、日本も強豪だった競技に金属劣化がはじまっている。 こちらでも学閥とか、出身閥、地域閥みたいなものがあるしね。 一応体罰も入れておくかな、そういう「バツ」をなくしてほしい。 来月またリレーマラソンに参加します。 たぶん参加者の中でもびりっけつの遅さです。 自分が弱い立場になることを経験するのもスポーツ指導者として大切だと 思いますね。弱さを知ると強くなれるものです! なんか、自画自賛と思われるかもしれないけど、体罰は一度もしたことはあ りません。もちろん怒ることはあるけど、叩くなんてないですわ。 なにせ本気になれば、確実に怪我をさせるのはわかってるんで・・・ よく子供たちがため口で話しかけてきることがあります。 それを見る罰思考の連中はすぐに「怒らないのか」と言ってくるけど、数年 したら自分から敬語で話しかけてきますよ。 いつ、どのタイミングで、どういう指導をすれば効果的なのか。 そして一番思うのは指導と調教は別であるということ。 子供はカワイイと思えば、裏切られることはないでしょう。 自分を好いてくれる人に反抗はしても、人として裏切らないというのが人間 の付き合いだと思いますね。 子供だ、子供だと思ってもあっという間に立派な大人になります。 いつの間にか、こちらを完全に抜いてしまう。 こちらを見下げても、なつかしい、うれしい目で見てくれるのを体験すると なんとも言えない気持ちになります。

今日は地元の祭り、神輿をかついでフラフラで帰宅。 すぐに寝てしまいました。 夕飯を食べようと、起きてテレビをつけたら、バレンティンが新記録。 しかも56、57と2本も打ってた。 なんでもアジア記録は56本だったんでアジア新記録なんだってね。 これでようやく王さんの呪縛から解き放たれたんだなあ~としみじみ。 外国人にその記録を抜かせようとしなかった姿勢は、一時期外国人横綱を 誕生させないようにしていたのとかぶる気がしました。 その頃に多くの声があったのが「ならば外国人を登用するな」でしたよね。 同じように野球も助っ人外人を使わないようにすればいい。 都合よく使いながら、日本の記録には残させないなんて酷い話ですよ。 とにもかくにも、その話にケリがつきました。 1964年以来だっていうから、半世紀近いよね。 ん~眠い、まだどんな感じだったか見てない。 とりあえず、もう一度寝ます。 新記録が阪神からでよかった。 バースの時は本当に頭に来たんで、彼のこともよぎります。 ま、ピッチャーは可哀想だけど、それがプロの世界ですから。

ナポリタンにイタリア人が激怒という記事を読んだ。 そこまでひどいかな?て思うけど、日本人も寿司とか、日本料理が思っても ないような形になっていれば不愉快になるでしょう。 イタリア料理においては、正しい種類のパスタと正しいソースを組み合わせる ことが、神聖なことだと考えられているという。 それが世界三大料理の一つの自負なのかもしれません。 そして世界のイタリア料理を正しい道に導くため、イタリア北部の都市パルマ にあるフードアカデミー「Academia Barilla」は、外国人向けのイタリア料理 に関する10の掟を発表したという。 1. パスタとリゾットをサイドディッシュ(添え物)にしてはならない。これは、冒涜的な行為だ 2. イタリア料理に、鳥肉を使ったパスタメニューはない 3. イタリアのレストランに、赤と白のチェック柄のテーブルクロスを使っているレストランなどない 4. パスタを茹でるときに、油を入れてはいけない。油は、パスタの水を切った後に入れるものだ 5. 正しいボロネーゼパスタには、スパゲティではなく、タリアテッレを使う 6. エスプレッソは、食事の後に飲むもの。 カプチーノは朝食時に飲むもの(できれば、甘くして) 7. 「フェットチーネ・アルフレッド」という料理は、イタリアにはない 8. 「シーザーサラダ」というメニューを知るイタリア人はほとんどいない 9. トマトケチャップ、トマトソースをパスタにかけてはいけない 10. イタリア料理の伝統に敬意を払って欲しい http://entabe.jp/news/article/2860 細かい~~~。 日本人が感じるとすれば、ゴハンにチーズをふりかけるなとか、そんな感じ? それでもドリアになるしなあ、逆に日本食が何でもありすぎるかもね。 ただ本場イタリアで食べたスパゲティは今でも記憶に残るくらい美味しかった! やはり、客も厳しいんでしょうね。 日本は簡単に安いものに飛びつく人もいるけど、もっと食を大事にしてほしい と思います。 今夏のバカッターのほとんどがファストフードだったのも、食や食品衛生に 対しての思い入れが軽くなったことも一因だと思いますしね。

ひどい、ひどいと思っていたけど、ここまでとは・・・もう病んでるといった 方がいいくらいとんでもない話だと思う。 韓国でなんでも95歳の男性が、日本に占領されていた時代はよかったという 話をしたら、30代の男に持っていた杖で撲殺されたという。 ここまでだと、「死なせるほど殴るとは、酷い話だ」っていう感じ。 ひどいのはここからで、まず周囲の反応が「当然だ」という論調。 そして裁判所の判決が懲役5年? 人を殺して、いくら酔っていたとはいえ恐ろしい話。 最近の韓国は五輪への妨害行為、いつまでも続く歴史認識への嫌がらせや 政治的な反発など、上から下へ反日行為が半端じゃない。 それはそれで好きにすればいい、そんな政策に未来はないから。 そのくせ、そういう行為をしながら、日本人の観光客が減ったと嘆く。 自分たちは嫌ってるくせに、相手には好きになれってどういうこと? そのくせ大嫌いといいながら、訪日観光客は増えているが親日罪じゃないの? まったくもってその思考回路がわからない。 その昔、日本人と韓国人は黄色人種で似ているから、双方がわかりあえると 勘違いしているが、日本人とアフリカ人と思って接した方がわかりやすいと 書いてある記事を読んだことがあった。 今ではアフリカ人の方が悲惨な歴史があっても、前向きにがんばっている人種 なので、日本人と原始人くらいの違いと思うようにしている。 韓国にとって日本への嫌がらせは国是になっているんでしょう。 しかし失敗だったのは、今まで比較的どうでもいいと思っていたクラスの人 たちまで嫌うようになってしまったのが失策。 韓国に対する日本の強硬策を非難する人が激減してしまった。 そこまでしなくてもという穏健派も少数。 普通の人でさえ国交断交してもいいだろって言い出した。 日本にとってのメリットが何もないんだから・・・ オイラも何度か韓国に行った、しかしもう行く気がまったくない。 同じように行ったことのある友人とも話したけど、共通した意見だったのは、 「あいつらが出してくる食事に信用が出来ない」だった。 「つばや鼻くそとか入れてくるかもな」 先日は親日のトルコで日本人の女子学生が亡くなったけど、トルコ人の嘆き は日本人の怒る気持ちをかなり静めたと思う。 しかし韓国で日本人が殺されるようなことがあったらどうだろうか。 もう70年近くになり、戦争すら知らない日本人に「日帝野郎は死んで当然」 とか「子孫は殺せ」なんていう反応が想像出来てしまう。 そのくらい酷い状態になっていると思う。 日本人は憎しみは憎しみしか生まないという教えをもっている。 逆に憎しみに対し寛大な心で接すれば、悪い者も改心すると・・・ しかしそうした慈悲にもこころを寄せず、恨み、妬み、嫉みしかないような 人間はもはや人ではないと思う。 日本の統治時代がよかったと正直に話してくれたご老人の死を哀悼の意を。

東京五輪2020が決まり、それと同時にレスリング復活も決まりました。 案の定ソフトと野球ははずされてしまいましたね。 案の定だというのは野球があまりにも五輪復活や競技普及に対して熱を感じ させないということ。WBCでもそうだったけど、プロ野球の興行に熱心で リーグ以外の試合に関してはどうでもいいような印象ですもん。 この夏は高校野球でもいろいろありました。 カット打法への注意は準決勝からという可哀想な部分もあるけど、投手保護が 叫ばれる中で打ち崩すのではなく、球数を投げさせてつぶすというやり方に、 教育的なものはあるんでしょうか。 そこには勝ちさせすればいいという日本人が嫌いな勝利至上主義があると思う んですけど、トーナメントなんだから仕方がないという意見にかき消されます。 オイラは「野球は高校で終わりじゃない」と言いたい。 勝ち負けには実力ももちろんだけど運もある。 いくらがんばっても最終的にはたった一校しか残りません。 そう考えると野球をどう楽しむか、どう努力すればいいのかを学ぶことで、 ひいては野球以外のことにもつながっていくように感じます。 それがないと不祥事、選手の飼い殺しや野球離れが起きてるんじゃないかな。 あと野球にある旧態依然としたものも嫌気がさします。 というのも、他の競技はスピーディさやわかりやすさ、どうすれば面白くなるか 日々ルール変更をしています。 バレーはサーブ権をなくしラリーポイントにしたり、サッカーもオフサイドを いろいろ変えてますし、ラグビーでは審判の声を無線で飛ばしたり・・・ それぞれ工夫されています。 野球ではどうなのか。 オイラはストライクゾーンを何とか科学技術などを使ってあきらかにしてほし いと思うけど、そういう声すらない。サインによる時間の無駄をヘルメットの インカムにすればいいと思うし、そもそも監督の指示もどうなんだか。 そういう旧態依然の象徴が今シーズンの55号問題でしょう。 いよいよ王さんが記録した年間最多本塁打の記録に並びました。 日本ではなぜかこれが絶対視さいれているんですよね。 そんなの大したことないと思う。 王さんの生涯最多本塁打の方が価値もあるし、決して色あせない。 55本を越えないように嫌がらせしたとしたら日本のプロ野球は終わる。 くしくもメジャーでイチロー選手が多くの記録を打ち立てました。 もしも200本10年の記録や、年間最多安打、3000本安打が邪魔され ていたとしたら・・・日本はまさにそれをやってるんですからね。 野球が好きなだけにがんばってほしいけど、野球のプロアマが一つになって ないから、今のままでは永久に無理でしょう。 また高野連、中体連のように学校が関わっているのもダメ。 とにかく新しく違う機構でと思うんだけど絶望的ですよね。 とりあえず55本の記録をなんとかしないと! バレンティンには是非新記録を達成してほしい。 オイラはバースの顔が忘れられない。 野球はいつになったらベースボールになるのか、WBCで連覇したから野球の ままでいいという話もあるけど、そこに未来はないと思う。

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