笑っていいともがついに終わった。
観てなかったからどうでもしいし、何の思い出も感想もない。
とはいえ32年間続いたのをどう考えるかはまた別の話で、この番組が
始まった頃はオイラもまだまだ若かったw
時代はバブル、フジテレビはまだまだ三流のテレビ局、だからふざけて
いた印象やいい加減なところがあったのが逆に良かったと思う。
他局はお硬く、世の中も笑いに飢えていたし、笑い飛ばすのも批判や
社会を斜にみる感じで面白かった。
今でこそ親、先生、指導者、上司、先輩・・・と面白い人やユーモアのある
人が人気だけど、一昔前は許されなかった感じだったのをテレビがどん
どん切れ込んでくれ、社会を変えていった先駆けだったと思う。
一般参加番組が全盛で、素人や半プロみたいな人から、いわゆるテレビ
タレントみたいな人たちを生み出す欽ちゃんの時代から、玄人受けしてた
タモリを使うことで徐々にお笑いのプロが席巻するようになりましたね。
前の番組だった「笑ってる場合ですよ」が、お笑いブームで毎日漫才師が
司会だったんだけど、その人たちをさらに操縦できる司会者といった感じ。
そこにはもう素人が必要とされなくなり、日々の刺激のために募集すること
はあっても基本的にはプロの場になっていきました。
しかしバブルが終わり、阪神大震災のころに、この番組は終わるべきだっ
たというのが個人的感想です。
もう世の中笑ってどうなるって感じじゃなくなってきてたし、 逆にふざけてい
る印象の方が強くなり、シリアスに物事を考える人にさえ笑いを求めるよう
になってしまい嫌になってきました。(先日の安倍総理への爆笑問題の発言)
そのせいで真剣な番組も必ずお笑いタレントが登場し、議論を呼びそうに
なるとバラエティだとしてる逃げる姿勢に辟易した人も多く、ネットの登場
がテレビ離れを加速する結果となりました。
そして東北大震災が起きたここ数年に至っては、笑いよりも感動や感激
するようなこと、真剣にコツコツがんばってること、陽はあたらなくても世の
ため人のためにやってるようなこと、若い人たちのOO離れに象徴される
物事の価値観もずいぶん変わってきたんじゃないでしょうか。
そんな時に笑っていいともの司会で一日何百万単位の収入の話やちょっと
したお笑いでさえ億万長者だらけ、少し前までは芸人は貧乏だと言われて
いたのがいつしか庶民が笑えないほどのお金持ち化に唖然。
確かにテレビに出るような人はサバイバルで生き残っているんだから、才能
とかいろいろあるでしょうが、それと給料のバランスはどうなのかって。
よくスポーツ選手が億稼ぐ話が出るけど、ジャンクスポーツの司会をしてた
浜田なんて、聞きながら笑ってたんじゃないかな、腹の底では。
夢を売る商売ではあるけど、現実離れしてしまうと笑えなくなってしまった。
そもそもテレビの広告収入が高騰すればそれは一般に響く。
彼らが自分の実力だと天狗になるのも無理はないけど、みのもんたのように
バッシングされ、干されればどう表現すればいいんだろうね。
なんか話が脱線し、横道にずいぶんそれてしまいました。
笑っていいともだけが今のような風潮を生み出してきたわけじゃないけど、
少なくともそのひとつであり、今だに続いてたマンネリに苛々していたのは
オイラだけじゃないと思う。
この番組が終わるにつれ、お笑いの御大といわれていた人たちのレギュラー
番組も次々に終わったり、彼らの新番組が数少ないも偶然じゃないでしょう。
タモリも終わったんだから・・・と、この効果は絶大。
悲しい、寂しいという人もいるでしょう。
しかし一生遊んで暮らせるような富を得た人たちのこれからなんて興味もない。
泣いていたのは出演番組が減っていくタレントでしょう。
「笑ってる場合ですよ」から「笑っていいとも」へ。
そして次は「笑ってる場合じゃない」が現実になりつつあり、笑ってた人たちは
もうどこかへ行って下さいっていうのが、日本の現状じゃないかな。
もちろんお笑いばかりじゃなく、大河の不人気、ジャニタレの視聴率低下など
いろんな方面も似たようなものです。
現実離れから現実を直視し、茶化すことなく真面目な日本がいいな。
つまらないって言うかもしれないけど、もう昔のような堅物も少数派、逆に少し
は真剣になるくらいがいいと思う。
今の日本でヘラヘラ笑ってる人の方が笑われてしまいますよね。
観てなかったからどうでもしいし、何の思い出も感想もない。
とはいえ32年間続いたのをどう考えるかはまた別の話で、この番組が
始まった頃はオイラもまだまだ若かったw
時代はバブル、フジテレビはまだまだ三流のテレビ局、だからふざけて
いた印象やいい加減なところがあったのが逆に良かったと思う。
他局はお硬く、世の中も笑いに飢えていたし、笑い飛ばすのも批判や
社会を斜にみる感じで面白かった。
今でこそ親、先生、指導者、上司、先輩・・・と面白い人やユーモアのある
人が人気だけど、一昔前は許されなかった感じだったのをテレビがどん
どん切れ込んでくれ、社会を変えていった先駆けだったと思う。
一般参加番組が全盛で、素人や半プロみたいな人から、いわゆるテレビ
タレントみたいな人たちを生み出す欽ちゃんの時代から、玄人受けしてた
タモリを使うことで徐々にお笑いのプロが席巻するようになりましたね。
前の番組だった「笑ってる場合ですよ」が、お笑いブームで毎日漫才師が
司会だったんだけど、その人たちをさらに操縦できる司会者といった感じ。
そこにはもう素人が必要とされなくなり、日々の刺激のために募集すること
はあっても基本的にはプロの場になっていきました。
しかしバブルが終わり、阪神大震災のころに、この番組は終わるべきだっ
たというのが個人的感想です。
もう世の中笑ってどうなるって感じじゃなくなってきてたし、 逆にふざけてい
る印象の方が強くなり、シリアスに物事を考える人にさえ笑いを求めるよう
になってしまい嫌になってきました。(先日の安倍総理への爆笑問題の発言)
そのせいで真剣な番組も必ずお笑いタレントが登場し、議論を呼びそうに
なるとバラエティだとしてる逃げる姿勢に辟易した人も多く、ネットの登場
がテレビ離れを加速する結果となりました。
そして東北大震災が起きたここ数年に至っては、笑いよりも感動や感激
するようなこと、真剣にコツコツがんばってること、陽はあたらなくても世の
ため人のためにやってるようなこと、若い人たちのOO離れに象徴される
物事の価値観もずいぶん変わってきたんじゃないでしょうか。
そんな時に笑っていいともの司会で一日何百万単位の収入の話やちょっと
したお笑いでさえ億万長者だらけ、少し前までは芸人は貧乏だと言われて
いたのがいつしか庶民が笑えないほどのお金持ち化に唖然。
確かにテレビに出るような人はサバイバルで生き残っているんだから、才能
とかいろいろあるでしょうが、それと給料のバランスはどうなのかって。
よくスポーツ選手が億稼ぐ話が出るけど、ジャンクスポーツの司会をしてた
浜田なんて、聞きながら笑ってたんじゃないかな、腹の底では。
夢を売る商売ではあるけど、現実離れしてしまうと笑えなくなってしまった。
そもそもテレビの広告収入が高騰すればそれは一般に響く。
彼らが自分の実力だと天狗になるのも無理はないけど、みのもんたのように
バッシングされ、干されればどう表現すればいいんだろうね。
なんか話が脱線し、横道にずいぶんそれてしまいました。
笑っていいともだけが今のような風潮を生み出してきたわけじゃないけど、
少なくともそのひとつであり、今だに続いてたマンネリに苛々していたのは
オイラだけじゃないと思う。
この番組が終わるにつれ、お笑いの御大といわれていた人たちのレギュラー
番組も次々に終わったり、彼らの新番組が数少ないも偶然じゃないでしょう。
タモリも終わったんだから・・・と、この効果は絶大。
悲しい、寂しいという人もいるでしょう。
しかし一生遊んで暮らせるような富を得た人たちのこれからなんて興味もない。
泣いていたのは出演番組が減っていくタレントでしょう。
「笑ってる場合ですよ」から「笑っていいとも」へ。
そして次は「笑ってる場合じゃない」が現実になりつつあり、笑ってた人たちは
もうどこかへ行って下さいっていうのが、日本の現状じゃないかな。
もちろんお笑いばかりじゃなく、大河の不人気、ジャニタレの視聴率低下など
いろんな方面も似たようなものです。
現実離れから現実を直視し、茶化すことなく真面目な日本がいいな。
つまらないって言うかもしれないけど、もう昔のような堅物も少数派、逆に少し
は真剣になるくらいがいいと思う。
今の日本でヘラヘラ笑ってる人の方が笑われてしまいますよね。