少し違った話題のミカタ

注目の話題を中心に少し違う目線で感じたままを語ってます 暖かく広い心でお付き合い下さいm(__)m

2014年04月

わたしの中で野球はスポーツじゃなくなりました。
野球は今でも続けている好きな趣味の一つですが、不満は山のようにあります。

野球を通じて多くの友人や仲間ができ、体を鍛えるきっかけになったり、
心豊かになる多くのことで感謝しています。 だからこそ改定してほしい
し、そうすることで人気が下り坂なのに歯止めをかけてほしいと。

でもこの国で一番人気という驕りと、日本特有の頑固さゆえか、いまだに
学校中心スポーツであり、首脳陣も流動性や透明性がなく、野球協会を
一本化できないまま時が過ぎていて絶望的だと常々思っていました。

そういうのもあって見放していたけど、このたびのボールの件でもうスポーツ
であるという見方さえ、変えた方がいいと判断しましたね。
どう見るのかといえば興行でしょう。

何をいまさらと言われるかもしれないど、やっぱスポーツと見たかった。
興行だと娯楽を提供するものという意味合いがありますから。
でもしょせんは・・・収入が目的の競技なんですね・・・

スポーツとして考えたとき、まず前提になるのがルールでしょう。
特に使用する道具、服装、グランドやコートは、どの競技も厳密に規定され
ていて、野球も例に漏れずといいたいところですが、ご存知のようにスタジアム
さえバラバラになっています。

それに加え、一番メインのボールも世界共通じゃないどころか、チームで
バラバラなら、そもそもホームランの価値とかどうなるのって思いますよね。
今から考えると甲子園のラッキーゾーンなんてお笑いの産物でした。

また重要なものとしてジャッジがありますが、こちらについてもビデオ判定
とか、ストライクゾーンを機械判定できるような開発もなされません。
なぜだろうと考えていたけど、興行だと思えばすべて合点がいきます。

他のスポーツのほとんどは世界選手権が絡み、国別対抗の戦いになります
から、厳密な判定、より正確で納得のいくものでなければなりません。
中東の笛とか、ホーム裁定なんかが問題視される競技も、あからさまな
ものがあれば当該審判は除名処分を受けます。

問題発生の多くが、時間の流れが早い競技が多く、いちいち試合を止めて
しまうと成立しないという状況があります。
でも野球は時間制限も特にないし、スピード化が図られているとはいえ、
他の競技に比べるとのんびりしている方でしょう。
それでもギリギリの判定に録画を採用しないのはどうもおかしい。

でも、もういいです。
野球にはどうなってほしいとか、こうあってほしいとか期待しません。
少子化で子供の多くがサッカーに興味を向けているそうだけど、抗えるような
状態ではありませんしね。今年はワールドカップイヤーだし、また盛り上がる
ことでしょう。野球よ、さらば! 

小保方さんの会見では何か驚くような事実が出てくるかと思ったけど、
結局STAP細胞は存在するのかしないのかわかりませんでしたね。
とはいえ、騒動を巻き起こした彼女に対する仕打ちはかわいそうなも
のがあり、相変わらず大上段のマスコミに反吐が出そうでした。

佐村河内の場合は詐欺行為にあたるため、多少厳しいものになるのは
当然だと思うけど、小保方さんについては主導的な立場とはいえ、一
研究員であり、仮に落ち度があっても責任は彼女一人だけの話じゃない。

ただ早く真実を明らかにしないと、万能細胞の発見でそれまで絶望的
な思いをしていた患者さんたちが希望を得ているとすれば、そちらに
ついての責任の方がはるかに重大な気がする。 

ところで戦後の経済成長が落ち着き、バブルを経験した頃から、今まで
信用されてきたものへの思いが180度変わりました。
例えば警察、教師、役人のような清貧とか真面目で絶対に不正などしな
いようだと思われていた人々が実際はまったく違うというもので、それは
性善説にたっており、、いまだに法律さえ改正されていません。

よくテレビなんかではそれらの組織の監視カメラからの驚き映像番組が
あるけど、海外のものばかりです。
日本では役所、取調室、教室と安価で簡単に取り付けられるのに一向
にそうした提案さえなされません。逆に見られるとまずいんだろうなあって。

そして今回のように女性研究員、障害者といった人々も今までは善意の
人と思われていたのに、雲行きが怪しくなってきました。
ネットでは障害者の人自身から、「障害者だから善人という思い込みは
止めてほしい」と書いてあったあったのを読みました。

そう宣言する人の方が先の話に戻ると、潔く何か疑念があった場合は、
調査したり質問してほしいということでしたね。
怪しい奴ほど監視や調査を避けるものなんですよw

さてさて夢のSTAP細胞の行方はどうなんでしょう。
オイラ的には莫大な利権がからむ話のため、簡単にできないように一部
の秘訣を隠していると思いたいんだけどはたして。
お金も確かに大切だけど、待ってる人々のためにあるなら頼みますよ!
性善説神話を崩壊させてほしくないですよね。 

人にはいろんな悩みがあると思う。
将来、仕事、家族、経済、人間関係、病気、争いごと・・・
まったくないなんていう人はいるんだろうか。

ところで悩み事にも優先順位がありますよね。
お金がないのと不細工なら、お金がないほうが深刻だし、成績が悪いの
と親が離婚しそうだったらとか、水虫と恐喝されていたとしたらとかw

とはいえ、普通の時には気づかないけど実は一番大切なことじゃないか
なって思うのが自分の健康についてだと考えます。
どういうことかといえば、普通に息ができ、美味しく食べられ、ぐっすり眠れ、
お通じもばっちり、そして体に痛いところがない。

これらが当たり前だと悩みは他のことへと行くものです。
しかしインフルや花粉症で咳が続くとしんどいし、口内炎ができたり、口が
不自由で食べられなくなったりすると・・・
そこに不眠や便秘、下痢なんかもからむと他の事がどうでもよくなります。

ですから当たり前の健康って本当に大事だと思うんですよ。
そしてそれらが無事なときほど逆に気遣ったり、考える必要があるでしょう。
無理が出来るからと無茶をすると体はすぐに警告を発します。

こういうのは若いときほど考えませんでしたよね。
年をとるほどそうで、特に飲酒に関してはツワモノだった人々がまず間違い
なく不健康な状態へと陥落しています。

無茶の貯金というか、積み立てが何年かして一編にやってきた人をみると
恐ろしくなるし、そもそも自分はそこまで強くないから無茶もできなかったと
いうのがあるんで、出来る人をすごいなって思ってたけど・・・間違いでしたねw 

あとストレスも注意しています。
特にイライラしないように、なるべく心穏やかにいられるように。
というのも、知ってる人は知っているけど、かなり短気なのでw
外出したら特に注意して、何か頭にくると一度深呼吸して考えるようにしています。
車を運転してるとしょっちゅうですから。

基本は命に関わらないことについては鷹揚にすべきだと。
次にケガとか損失とか、何か実害をこうむるようなこと。
そういう観点からだと迷惑行為くらいは程度によっては我慢しています。
秘訣は「こういうことをする奴には必ず天罰がくだる」とか「人生絶対にロクなこと
にはならないだろう」と言い聞かせて。

オイラだって聖人君子じゃありませんから、思わずやってしまうこともあるし、
まったく注意されない人間でもありませんからね。

最近は鼻の調子がよくありません。
ひょっとしたら軽度の花粉症かなと思ってるけど、目には何もないようです。
悩みは体がかたいこと、ストレッチしてもなかなかです。
心の悩みはいろいろあるけど、一番はやはり増税後の不景気ですね。
なんとかしないと思いながら、ずるずると日にちだけが過ぎ行く感じです。

桜が咲き、東北では三陸鉄道の開通のニュースが報じられていました。
何か楽しくなるようなことがないか日々考えています。
なんかダラダラと・・・とにかく健康に気持ちよく! 

日本人総中流意識社会といわれた時代よりも、今は完全に格差を感じる
時代になってしまいました。
しかも親が裕福ならそれを継ぎやすく、そうじゃないと逆転できにくいという
負のスパイラルもいわれています。
一体どうしてそうなってしまったんでしょう。

オイラの子供時代、確かに裕福な子はそれなりに賢かったし、私立の学校
とかに行って、より良い教育を受けていました。
でも、そういう子に完全に負けてしまうかといえばそうでもなく、貧しい家庭
でも賢い人はごまんといましたね。

それどころか極貧の中から東大など超難関校に行く人もいて、またそういう
人が官僚となり、国を作っていってくれるから安心な部分もありました。
今では正反対の何の苦労もしたことのない人が、波風を受けず、新しいこと
にもチャレンジしようとも思わず、無能かしこが跋扈している印象です。

現に友人たちから聞くお役所の世界では、上になることを嫌い、なったらなっ
たでその責任の重圧から心を病む人が少なくないのだとか。
もちろん彼らは高学歴だったり、勉強も出来ます。
なぜこんなことになってしまうのか、教育とは?

ご存知のように、今の子供たちのほとんどが塾通い。
うちの田舎のようなところも、いつしかそうなってきました。
オイラの子供時代だとそろばんとか習字くらいだったのに、いわゆる学習塾
が全盛になっています。

その状態をどう考えますか?
オイラが感じるのは公教育の敗北と、教師の質だと感じます。
話は少しずれるけど、物事を教える人は何も勉学を教える学校教師だけで
はありません。伝統技術、商工業技術、スポーツ、趣味・・・いろんな先生が
いて、それぞれ多くの人を日々指導しています。

オイラも一応は教えていることがあるので、コーチと呼ばれるときや時には 
先生といわれるときもあります。そういう環境からいろいろ観察していて思う
のは、教え方が上手い人は尊敬され、好かれ、どんな人も言うことを聞くと
いうか、やんちゃな子に手を焼くこともありません。

その人に教われば自分の中に眠る才能を引き伸ばしてくれたり、興味を持た
せてくれて、いわゆる学習意欲の自主性を目覚めさせてくれたり、 そうした
実感を与えてくれる人こそ先生であり、師匠とかマスターといわれる存在だと
思っています。

そう考えると学校がなぜ荒れるのか、つまらないのか、塾に負けるのか。
勝手ながらオイラも幼稚園から大学そして専門学校まで通った中、何十人の
教えを請うてきたけど、先のように尊敬できるような人は数人だったように
記憶していて、予備校に通い学習テクを学んだ友人の話を聞くと、うらやまし
いし、自分の中にある才能を見てみたかったように感じます。

英語が得意になれず、社会人になってから英会話スクールに行ったときは
楽しく興味深く持続できる教え方に納得したものでした。
そうなると、自分より年下の先生であっても尊敬しますね。
じゃあ今の学校の先生はどうなっているんだろうって・・・

ていうか、先生は人気者がいいのかっていう感じになってる。
人が良くて、優しくて、友達みたいって、でもそれはまったく違う。
やっぱ教師、教える師になってほしい。

オイラ自身の真の教師は、今の仕事を教えてくれた師匠と父親になる。 
どちらも友達じゃないし、優しくもない。
でも手に職だったり、きちんと生き方を教えてくれればどうだっていい。
教える側も相手が嫌なら教えないんだしね。

勉強のほうで凄い先生にあったてら、どうだったかって思う。
基本が怠け者だから難しいけど、そんな人間でさえ本気にさせてくれる
ような人に会いたかった。 
とはいえ、本気になれば自分から会えることもある。
惜しむらくは現代はネットがあるけど、当時は情報が少なかったことかな。  

考え方の根本が違うんじゃないかと思った。
何についてかというと、今話題のSTAP細胞小保方さんのいる理化学
研究所で、ここの給料が安いとか、どうとか・・・

海外は給与が高いとか、待遇がいいとかで外国人研究員が来ないだの
日本人が海外に行くだのっていう話なんだけど、本当にお金だけの問題
だと思ってるなら、そういう話しかしないテレビだからダメなんだと感じました。

給料がいいといえば外資の証券会社とか外資系企業なんかそうですよね。
そりゃあ実力がある人はそれでいいでしょう。
しかし地道に研究したり、コツコツと仕事をしなければならない場合には、
給料よりも環境だと思うんですよ。

例えば高給が約束されてしまうと成果や効果が期待されます。
そうなればプレッシャーは相当だろうし、今回もそうした話や予算がどうとか
なんていう話も飛び出しています。
そっちの真相はわからないんで触れないけど、小保方さんクラスが700万
で安いとかいう話は絶対におかしいと思う。

それよりも考えるべきは、例えば研究で成果が出て、特許とか商業転化
された場合の個人利益がないとか、そっちのほうだと思いますね。
まあテレビ局みたいに滅茶苦茶な費用対効果に反した広告費を取っている
ようなところが、日本の様々なシステムにメスを入れられるわけがないよ。

プロ野球選手でも、給料が下がるのにメジャーに挑戦した人はなぜ?
プロサッカーの選手もそうだし、他にもたくさんいる。
そこには名誉と環境でしょう。

オイラも給料だけみたら、あれしたら良かったっていう分岐もあった。
就職もバブル後期で、けっこう先輩に好かれてたから引く手あまたでしたし、
でも好きでもないこと、納得のいかないようなことじゃ無理でしたね。
逆に田舎でのんびりくらいが性に合ってるから、そのぶんは慎ましやかに
生きていかなければと自覚してます。 

ずっと前に年下の子が、自分の同級生の給料と差がついたことを嘆いて
いたけど、そういう部分しか見てない人というのは、どういう感じの人間か
想像つくと思いませんか。
給料が高くないと働けない、もちろん安くていいっていうもんじゃないけど、
誰かとどこかで何かを比べ、勝ってないとダメなものなのでしょうか。

何もかも手に入れた金持ちに聞いてみてほしい。
命と健康と心はどうかって、負け犬の遠吠えとしりながら・・・
ただし、それらを知ってる金持ちは最強だと思うけどね。
お金はそこそこしかなくても最強でありたいよ。 

もし自分がお金持ちになったらどういうタイプの人間になると思います?
偉そうにするのか、それとも謙虚になれるか。

中国をみているといつも思ってしまいます。
一昔前は清貧という言葉がぴったりな雰囲気で、日本も応援しようとか
好意的にみていたのが、GDPが伸びお金を得ると急変しました。

態度が変わったことで、それまで日本にあった軍備縮小意識も吹っ飛び
今では危機感が急上昇して、大陸に進出した日本企業にいたってはそう
したリスクを考えてなかったと叩かれる始末です。

特に食べ物については相当深刻ですよね。
世界に誇る中華料理も、本場に食べに行きたいなんていう話を聞かなくなり、
日本人の多くがありがたがった漢方薬も、日本に買いに来る中国人と逆の
構図になってしまいました。

そんなこんなで中国に対する印象は180度変わり、中国から東南アジアに
シフトする流れは止められそうにありません。
ただ中国人の気質というよりは、中国共産党の失策と思いたい。
つまり党が崩壊し、ましな政権になればまた変わってくるはずだと。

実際、台湾にしても香港にしても同じ中国人でもずいぶん違いますから。
そこは韓国人とはまた違うものがありますね。

ところで最初に戻って自分はどうなのかの自己診断ですが、オイラが思うのは
車の運転である程度判断できると思うんですよ。
車はある意味武器であり、実際の自分を保護し、強力にします。

ですから、おらおら運転するような人は権力とか権威を持つとそのような感じ
になり、常識的な運転や他人に優しい人は同様になると。
ただひとつ注意点は同じ人でも高級車と普通車、軽自動車で変わることも
ありますから、最上としては高級車で優しい運転が出来る人じゃないかな。

自分は優しい人間だと自負する人も、そうした部分で観察するとまた面白い。
人の心の中に眠るそうした負の心、一度考えて見た方がいいでしょう。
 

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