少し違った話題のミカタ

注目の話題を中心に少し違う目線で感じたままを語ってます 暖かく広い心でお付き合い下さいm(__)m

2014年10月

ちょっと身内贔屓な話になってしまうので何なんですが、先日甥っ子が
帰宅途中に具合の悪いおばさんを見つけたらしい。
話を聞くと病院帰りで少し気分が悪くなり、休憩しているということ。

「おぶりましょうか」と声をかけたけど、固辞され、少し休んでから自分の
家に帰るということなので、自分も付き合い、連れ添ってその女性を家ま
で見送ったということでした。
親の方は後日にその方がお礼を言いに来たことで知ったという話。

それを聞いたとき、確かに性格のいい子でもあるんだけど、それだけ
じゃダメで、やはり小さいときからの経験とか、周囲の親や大人を観察し
てきたことで、行動につながったんじゃないかと思いましたね。

どういうことかといえば、うちの亡くなった母親つまり彼にはばあちゃんに
なるんだけど、くも膜下の手術後、時折倒れることがありました。
オイラも何度か見てきたけど、彼自身もスーパーや駅なんかで倒れた
ばあちゃんを母親やじいちゃんが助け起こしたりするのを見てきたはず。
こういうのは慣れてないとあたふたするものです。

自分自身も思い返すとバイク乗りだった頃は事故に何度も遭遇し処理の
手伝いをしたし、 スポーツをしてたときもケガや脱水症状、脳震盪とかを
救急車を呼んだりしてるし、急性アル中やケンカとか百戦錬磨の方かな。
しまいにゃ自分の骨折のときも冷静に自分で救急車を呼びましたしねw

でも、よくよく思い出すと初めてのときはやっぱ焦ってたように思う。
というのも判断とか決断はとっさにするのが難しいし、もし間違ってたら
とか、自分がそこまでやる必要があるのかとか、けっこう一瞬で考えてしま
い、そうこうしているうちに誰かが現れ、その人に任せてしまうパターン。

あるとき友人3人と単独の自動車事故を目撃したときは、血まみれの
重傷者に2人ともかなりパニくってたので、それぞれ救急車を呼べ、
近所の人を呼べと指図し、現場から離すことで落ち着かせました。
慣れてない場合のパニくりようにびっくり、それもまた経験で知りました。

今は消防団の活動で、これまたかなりの場面に遭遇したので、落ち着いて
対応できるけど、当初は右往左往でしたね。 そのときは分団長や班長の
指図で動くことで落ち着かせていたのを思い出します。 

心の中では人助けをしたい、困った人を助けたい、そして喜んでいただき
たいと考えている人がほとんどだと思います。
でも、もうお気づきのように思うだけじゃ難しいんですよね。

甥っ子も実際はやってないかもしれないけど、周囲の大人のばあちゃんへの
対応を見てたことで、とっさにいろいろできたんじゃないかと。
またスキーの指導で数多くの学校をみてきたけど、障碍児のいる学校やクラス
の子供たちの彼ら彼女らへの対応を見ていると感心します。

教師の友人もそういう子供がいると、必ず抗議する悲しい親が少なからずいる
という話を聞きました。でも彼自身そうした子を受け持つことで、クラスがまったく
違うものになることを丁寧に説明すると納得されるし、実際わが子の変化に
感動する親が多いというのも聞きました。

ドラマや映画で感動モノをみて、自分も何かやってみたいと思う人は多いでしょう。
でも、実際に体験すると自分の心の弱さや実力のなさ、勇気のなさとかを知り、
ズタズタになってしまうこともあります。
とはいえ、そこからあきらめず強くなっていく自分を知ることは本当に心地いい。

偽善という人もいるでしょう。
例えそうであっても人から喜ばれる偽善はやらないより、やったほうがいい! 
ダメなのは金目当てや欲とかにつなげていくものでしょう。
自己満足の偽善はどんどんやらないと!

甥っ子も同年代ではかなり体格のいい子なんですが、心もすくすくと健全に
大きくなっているのを聞いてすごくうれしいです。
少なくとも自分に関わった子供たちが他人を気遣う人になってくれるのはあり
がたいものです。

悲しい経験がいつか人様のためになるものでありたいものです・・・ 

人間ウォッチの中でも興味深いのが、イデオロギーに凝り固まった人間を
観察するのがおもしろい。何が彼らを突き動かし、どこへ向かっていくのか。
利権?怒り?解放?だいたいそんなところじゃないだろうか。
 
一連のヘイトスピーチ問題の流れをみているときな臭いものしか感じない。
そのきな臭さがどこからやってくるのかをずっと考えていました。
そしたら、いい例がやってきましたね。
パク大統領による産経新聞元ソウル支局長の拘留と送検です。

内容については詳しく書かなくても、ネットをやってる人なら大まかな流れは
つかんでいるだろうから割愛しますが、いくら反日ならなんでもありの韓国
国内からも、国際社会の批判を受けて腰が引き始めました。

仮に犯罪なら、きちんと名誉毀損とか侮辱罪で訴えればいい。
それを言わせないようにする言論弾圧は、世界を見渡してもかなりやばいも
のだというのをだんだん感じてきました。

その見方で日本のヘイトスピーチ規制を考えれば、危険極まりないものでしょう。
オイラも「死ね」とか「殺せ」なんていうのはさすがにアウトだと思います。
しかし「出て行け」「帰れ」くらいは、なぜそう思うのかという理由を掲げれば、
まだ許せる範疇だと思うんですよ。

思い起こせば「天皇制」「拉致問題」「9条改正」について、口に出してもいけない
議題に載せるなんてもってほかという時代が続いたことを忘れてはなりません。
つまりは口封じであり、いい悪いに関係なくとにかく話すなという姿勢は日本に
も言論統制がマスメディア主導であったといえるでしょう。

以前にも書いたけど、「風立ちぬ」という映画に対して井筒監督はつまらない、
くだらないし戦争賛美だと一刀両断しました。
そう思ってる人はたぶん少数派で、日本における戦争映画の多くは戦争の悲惨
さや愚かさを描くものが多く、時には 怒りすら禁じえません。

なぜあれがダメなの?しかも「火垂るの墓」 でさえ、彼らのようなイデオロギーの
ひとからすると許せないのだという。
どういうことかといえば、戦争を仕掛けた日本人は痛い目にあえばいいし、自分
立ちも被害者のように描写するのもおこがましいというのがあるようです。

まったくもって酷い話だと思う。被害者でないと戦争を語れないの?
世界史をみればどこの国も戦争をし、他国を侵略し、時には勝ち、時には負けを
体験し、中には歴史から抹殺された民族も多々あります。

戦争の怖さ恐ろしさは、誰もが加害者になり、誰もが被害者になることでしょう。
韓国について憤るのも、自分たちが被害者の視点からばかりで、加害者であった
ことを完全に忘れてしまっていることにあります。
 
つまり、言論を弾圧し、議論させなくするというのも戦争と同じくらい酷いもので、
相手の言い分を否定し、口封じした時点で戦争加害者と同じだと思います。
なぜなら一方的ですから!

韓国人が国際法を無視し、在韓日本大使館の前に像を建て、そこでデモを行い
安倍さんの写真や日の丸を焼いています。
腹立たしい行為だけど、我々はなぜそのようなことをするのかを考えます。
結果はご存知の通りバカバカしいことばかりで、平行線のままになるのですが、
それでも聞く耳を持つというのは大切でしょう。

オイラ自身、少しは大人になったかなと自覚したのは、理不尽なクレーマーに
対峙したとき、感情的にならず冷静に対処できたときでした。
当初は何も思ってなかったけど、その後に周囲からも褒めてもらい、勝てばいい
言い負かせればいいというのも社会的には違うんだなと思ったものです。

そういう観点で先日の橋下市長vs桜井会長の顛末において、オイラがどう
言いたいかはおわかりのことでしょう。
市長はよく「編集される」ということを話してて、少しは同情してたんですが、
あれだと激高するように誘導されるに決まってると・・・がっかりしました。

長くなったけど、本当に言っていけない例えば相手の身体的欠陥や生まれな
がらの障害のように本人とってどうしようもないことってありますよね。
差別問題にしても似たような部分はあれど、何を問題にして怒っているのか
を考えないまま封殺しても、より深いものになってしまうだけでしょう。

地球のあちこちでは言い合いどころか、殺し合いになっています。
そしてその根元は相手のことを理解しようとしない不寛容な心です。
平和を唱えたり、戦争反対する人がそういう気持ちのままだと戦争は決して
終わりのないものであり、煽ってほくそ笑む人間が喜ぶだけでしょう・・・ 

面白くないテレビ番組が多いけど、日本の技術や伝統、文化で素晴らしい
ものを紹介するのは好きでけっこう見る。
すごい人がいるなあ、よく続いてるなあ、維持するのはたいへんだろうと。

しかしこういうのを気持ち悪いだの、変だのいう意見をみる。
日本は長年自虐史観に毒されてきたといわれ、その反動の自惚れだという
んだけど、まったくおかしいと思うな。

自国のものを素晴らしいと思うことはどこの国もそうだし、そうあるべきでしょ。
ただ、だからといって他国のものが劣っているとか、侮辱したり、バカにする
行為はダメだとは思う。

例えば先日見た番組では日本のバスや地下鉄のシステムを紹介してました。
ご存知のように正確で安全性、快適性、お客様重視のサービスは目を見張る。
だからといって海外の鷹揚なタイムスケジュールやワイルドな情景はその国
の事情であって、それらの国行った日本人は逆に楽しんでいる。

一昔前には確かにバカにする日本人もいたとは思うけど、最近はあまりにも
システマティックなため、日本にはないものを求める人もいて、よく趣味や娯楽
が多様化したといわれているけど、そうした価値観も多様化し、他文化を尊重し、
理解する人が増えたからこそ国際的になったといえるように感じますね。 

もちろん日本の欠点もたくさんあるし、解決しなければならない問題は山積み。
そういう部分は好きになれず、逆に見習いたい国もあります。
いいとこばかりもダメ、嫌いばかりもダメ、やっぱバランスでしょう。

これを自分ちとか、住んでるところとして考えれば、嫌いが多ければどこかに
引越しするでしょう。日本人は止められなくても、嫌なら国外に行けばいい。
また好きになる努力、いいところを見つける努力をしなければ、何でも文句を
言う人というのはそうした傾向がない人だと感じます。

最近は外国人と話す機会が減ったけど、多かったころに自国を悪くいう日本人、
好きになろうとしない日本人に外国人は避ける印象がありました。
当時はオイラも自虐史観の影響で、あまり日本アゲをしなかったけど、逆に
彼らに注意され、そうした思いは恥ずかしいことだと教えられました。

愛国心というと、やっぱ拒絶してしまう部分もあるけど、自分のふるさと、国を
好きだという気持ち、愛する気持ちはもちろんあります。
まだまだ知らない日本の良さをもっともっと知りたいですね。 

日々老若男女いろんな人と出会い話すと、いつも同じ話題になる。
日本の将来は?今後どうなっていくんだろう?自分たちは・・・

今の不況は完全に政治によるものだと思ってます。
日本がダメで何もないのではなく、仕組みそのものにあると。
ただし政治の責任ばかりでもなく日本人の意識も変えないと難しいでしょう。

例えば、日本よりも早く経済が成熟し、落ち着いた国を観察すると
上手に国づくりをしている印象があります。
その一つに都市部には若者を 地方にはリタイアした人をという考え。

都市部は働き場所、若者が仕事する場所と特化しています。
日本では便利のいい場所に独居老人が暮らしているように、土地
信仰が強くなかなか離れたがりません。

よく先祖伝来のなんたらかんたら言うけど、日本人の90%以上いや
それ以上の人は150年前くらいには自分の土地などなかったはず、
それでも近所付き合いが濃密ならオイラも何も言わないけど、希薄に
なり孤独死なんていうニュースをみると都市部に住む恐怖を感じます。

また先日のニュースでは都市部の墓不足を嘆いていました。
これなんかには本当に違和感を感じます。
というのも、東京や大阪の歴史をみれば、繁華街の多くは元墓場で
200年後にはすべて更地にされ、商業地と化しています。
(大空襲の影響もあったでしょうが)

そう考えれば、自分の墓に固執しても100年後ならまだあるかもしれ
ないけど、200年もすれば保障できないでしょう。
また墓の概念やあり方も今と同じとは限りませんから。
オイラにいわせれば都会に住むということは、ある意味近所付き合い
やそうした墓なんかもどうでもいいという意識がないと無理だと。

そこで発想としては日本も特にヨーロッパのように、都市部は働き盛り
の若者が暮らし、リタイアしたら地方に移り住み、手厚い保護を受けられ、
その介護や商売を地方の若者がやれば職も保障できます。

今現在の東京も大阪も天災の弱さが心配されるし、もしものときは一番
の弱者が被害を被ることになるでしょう。
都市部一極集中を恐ろしいと思わない神経には愕然とするし、そうした
考えの方向性を変えるのも政治やメディアの仕事だと思うけどね。

地方創生には東京一極集中を分散し、政治の中心を地方に移行し、
オイラが言うような住み分けそして公共事業は道路から山林の保育・・・
これだけもずい分変わるように思う。

まあ上から下まで、余裕があって政治参加してる人の多くは現状変更を
望まない人がほとんどでしょう。疲弊し、打開してほしい人が参加できる
ようにしないと、結局は何も変わらないままずるずるいくだけでしょう。
このままだと日本が変わるのは被災か戦争か、それしかないような気がする。 

スーパー台風なんていってたわりに、比較的被害が少なかったと思う。
台風一過は西高東低ですこし肌寒い晴天となりました。

季節が一気に進んだ感があり、急ぎ冬支度を開始しています。
夜は暖房器具がなければ耐えられないこともあり、しかし日中はまだ
もう少し暖かいため、脱いだり、着たりが続いています。

実は先週まであるイベントに参加することになっていたっため、すごく
バタバタしてました。どういうものかといえば産業フェアといわれる地元
企業の紹介のようなもので、我が家は零細ながらも出展することのなり、
そのため商品作りやその他もろもろ追いまくられていました。
 
自分が決めたわけじゃないんで、どういうものになるか、はたして効果は
あるのか、少々不安だったながらも今の感想は良かったと思います。
スポーツ選手が試合に備えたり、文化系の人たちが発表会、展覧会な
んかに出るために練習して切磋琢磨するように、うちも新しい試みを
実践することが出来ました。

最初は嫌でしたけどねw
とはいえ、今のご時勢なにかやらないと難しい。
うちも厳しい状況を打破したいという思いもあり、チャレンジにいたったわけ
だけど、外部に出たことでいろいろ声をかけてもらったり、旧知の知り合い
に会ったり、新情報はもとより、多くの声を聞かせていただき自信になりました。
それにしても多くの方々が次の模索をしているのがわかります。

うちなんかは地方の観光地で、それまでは観光客や地元のお客さん相手
が主で、最近は宅配便を利用し、少しずつ外部にも発送してた程度で十分
だったのが、観光客も減り、地元の経済力もダウンした現状ではかなり
厳しい状態になりました。 

この20年では従業員数も削減し、ほとんど家族のみでやっていくことで身軽
にし、新規にあれこれできるようにしてきたわけです。
そして何とか次の道筋が見えてきたかなと。
冬から少し新芽が出そうな、一足先にそんな感じになってきました。

とはいえ、宣伝や開拓なんかもやっていかなければなりませんので、気が
抜けないしコミュ能力勝負にもなってきます。
大儲けはもちろん無理だけど、生きていける程度にはがんばらないとね!
この10日ほどはそんな日々を過ごしていました。 

昨日は復興の街リレーマラソン以来1ヶ月ぶりの大会に出場しました。
神鍋クロスカントリーというもので、1周約3キロ強の距離を10周
走り、我がチームは女性2人を含む8人で出場。

オイラ以外はフルマラソン経験者と、1週間前は100キロを走破した
猛者ばかりで、一人だけ不似合いな参加。
なぜそんな不得意なのにやっているのかって、飲み会が好きだからw

確かに得意分野だけにいると心地いい。
そういう大会に出場するときは、他を圧倒しトップをどう狙うか考え
るものだけど、こと走りでは女性はもちろん子供でも負けそうです。

普段のリレーマラソンは4人が基本で、どちらかといえば楽しむ方が
優先されるけど、今回は周回と負担が短いことでみんなのやる気が
違いました。でもここしばらく練習してなくてやばい!

そして走り出すと急に冷たい雨が・・・
体は温まらないし、慣れないぬかるみと最低の走り、最悪のタイム。
順位を2つも下げたけど、残りのメンバーが元に戻してくれました。

今回思ったのは、好きな競技の場合だとどんな条件にでも対応できる
ように練習しているものです。得意なものだと雨、風そして寒くなっ
てもパフォーマンスが落ちませんが、不得意なのは好条件でしか練習
してないため、心技体とすべてが心折れてしまいましたね。

それでも後会では飲みのトップを快走していました。
本当にいい仲間だと思います。
来月はまた恒例のりんくうリレーマラソンに参加します。
少しは練習しておこうっと!
knb01

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