少し違った話題のミカタ

注目の話題を中心に少し違う目線で感じたままを語ってます 暖かく広い心でお付き合い下さいm(__)m

2014年12月

もういい加減にしてほしい。
日本に追いついた、一部では追い越した、とにもかくにも先進国入りした。
そう宣言したから、立派な国になったと思いきや、そのとたんに過去の話
を蒸し返し、日本攻撃が激化。

普通は金持ちケンカせずなんていう話があるけど、中国や韓国は金がな
い時は大人しくしておき、金が入ればここぞとばかりにこぶしを上げる。
なんて卑怯で姑息なんだろうかと思う。

中国は距離こそとってはいるものの、ロビー活動やメディア工作がすごい。
金で転ぶ奴を見つけ出したり、一部のノイジーマイノリティを利用したり、
表向きはわからないようにしている印象。

かたや韓国はわかりやすい上に底が浅い。
本当の実力があればいいんだろうけど、砂上の楼閣だったことがバレ始
めた。それが今回の平昌五輪騒動ともいえる一連の話。
こういうことがはたして先進国だっていえるんだろうか・・・

そもそもF-1あたりからケチがつき始めている。
だいたいお国柄が自国民を偏って応援するばかりで、それ以外には興味
もいだかない特徴がある。そもそも人も車も参加してないのにどうして誘致
するのか不思議だった。もちろん大失敗し借金がかさみ逃げ出したところ、
「来年もやれ!」といわれて右往左往している真っ最中。

F-1の組織であるFIMに経年契約をしていながら、払わずに逃げようと
していた感がある。これは前科があり、あの2002日韓W杯でのスタジアム
建設費を日本から借りて返していない。
また最近では仁川アジア大会の運営でも問題になった。

なぜ無理なのにやろうとするのか、なぜ日中ができるのなら自分たちも出来
ると身の程知らずな計算が出来るのか、不思議でしょうがない。
とはいえ、手を上げるのは自由で選んだ連中ももちろん悪いと思う。

W杯でもカタール大会が2020年に行われるという。
アメリカ大会は暑くて滅茶苦茶になったので有名だったけど、再来になるのか
一部では冬に行われる可能性もあるという。
冬季五輪ではソチも酷かったのを思い出す、半世紀近い五輪の歴史やW杯
でも、もう開催できる国、都市は限られてきていると思う。

それを無理やり立候補させようとしているのは、それによる活動費というか
完全なワイロ目当てでしょう。近年ではそうしたものに対する反対運動も目立つ
ようになり、逆に国の威信だのなんだのっていって手を上げたがる日中韓が
情けなく見えてしまう。百歩譲って日本は東京、長野、札幌と経験した地で
施設があるからまだ許せる部分もあるんだけどね。

それにしても韓国には本当にわからない。
どう考えても「ま、候補地になったら後はジャパンマネーも」なんて考えていた
節があるように、そして近年のぎくしゃかくから無理になり、とうとうIOCを巻き
込んだ開催都市以外のにつながってしまった。

でも日本人の中にもいるおかしい考えの連中も何とかしたい。
なぜ共催が友好につながるのか、そもそも日本人の嫌韓のスタートはW杯共催
から出発したものであり、日本が譲ったり協力しても何一つ感謝されなかった。
その上あからさまな八百長は韓国人は過ぎたこととして思っているようだけど、
世界中のサッカーファンは永遠に忘れないでしょう。

オリンピックやワールドカップ、アジア大会などはスポーツの会場を提供する、
つまり世界中から選手に来ていただいて、心地よく試合していただくものであっ
て、そこで自国のアピールや国威発揚なんて現代ではありえないでしょう。
という趣旨の発言をスポーツ評論家の玉木氏が語っておられました。

日本が長年トヨタカップが出来た理由、2002では悪名高いフーリガンが日本に
大挙押し寄せながらなぜ一切トラブルがなかったのかなど、一部のマスコミは
日本人が国旗を振る姿のみを偏狭なナショナリズムと煽るけど、その反対で
いいコンディションで世界トップクラスの選手に、素晴らしい試合を国を超えて
見せてほしいという気持ちがあればこそなんですけどね。

つまりはスポーツの祭典、お祭りという意識からマイナーな競技でも弱小国でも
接待して気持ちよく競技してもらうのが当たり前で、施設の建設に金がないとか
分散して開催したいとか、一体誰が主役なんでしょう。
移動も少なく、コンパクトで、長期滞在しても心地いいっていうのが基本でしょう。

また五輪については都市開催になるんで東京だけじゃなく大阪や名古屋を使う
のもどうなんだかという意見は百歩譲って目をつぶるにしても、日本と韓国で
なんていう考えは意味不明、スウェーデンとフィンランド、イタリア・スイス・フラ
ンスそしてドイツのようにアルプスつながりとか、そういうのならまだわかります。
でも海を挟んだ上に複雑な事情の二国が、なぜ?

スポーツはビジネス、ビジネスは損か得か。
そこに友好とか親善とかありますか?
日本はいつから中国や韓国ばかりに気を配らなければならなくなったのか。
しかもそのニ国はすればするほど要求は増え、感謝は少なくなっていく・・・

人間付き合いを考えれば、そうした人を大事にするよりも、こちらを大事に思って
くれる人のほうに重きを置くのは当然でしょう。
サヨクはよく近所だからなんていうけど、活動家の多くが近隣とはうまくやってない
し、逆に疎まれてないかw 

さてさてこの行方、どうなっていくのか。
パク大統領の反日、そしていざというときの靖国参拝で何とかかわしてほしい。
本当に仲良くなろうと思えば、ガチのケンカの方が手っ取り早いと思う。
表面上仲良くしたって根本は変わりませんよ。 

ここ二三日、不調な日が続いています。
というのも多分インフルエンザにやられたんじゃないかと。

土曜日に大阪に行ったとき、ライブ会場で嫌な感じがし、帰宅後の1日
に消防があったんだけど、そのときに一瞬のどの異変を感じました。
ひょっとして?と思ったその2日後からのどがズーズー。

そして熱が出て、寒気がし、翌日には治ったと思いきや、また体がだるく
なってしまいました。今日も安静にしててずい分よくなったとは思うんだ
けど、完治には至っていません。

それにしても病気には勝てませんね。
こればかりはどうしようないといった感じ、そして罹ってない人からすれば
その苦悩はどこ吹く風でしょう。

こういうときにムカッとするのは、「風邪引いた」なんていうと「心がたるん
でいるからだ」なんていう人、こういう人に限って自分が同じことを言われ
たら怒るくせに他人には言う。

車をぶつけたら、「不注意だ、しっかりしろ」といい、交通違反で捕まると
「何してたんだ」とこれまた叱ることしかしない。
ま、うちの親父なんですけどねw
自分の方がぶつけたり、違反は隠しているくせに頭に来る。 

オイラは逆に人のことをあれこれ言わないタイプなんだけど、その根底
には自分が言われたら嫌だからというのがありますね。
そういう心境になったのは、集団競技をしてきたことにあると思う。

経験者ならわかると思うけど、自分がミスして許してもらうこともあれば、
その逆で他人のミスを許さなければならないこともある。
そういう視点で人を観察すると、うちの父と同じようタイプは集団競技が
未経験だという人に多いように感じました。

とはいえ、経験者だから寛容なのかといえばそうでない場合もあります。
それについては自分が主力だったり、控え経験とか、惨めな悲しい思いを
したことのない人なんかも案外辛口だったりします。

オイラも実はそういうタイプでもあったんですが、先輩にたしなめられたり、
年をとってからは苦手な競技にもチャレンジすることで印象が変わりました。
例えば最近では一番苦手とするランニングをやってるわけなんだけど、
早くなる素質もなければ、勝てる自信もない。

得意競技なら、その会場にいっても自信満々でいられるけど、苦手なもの
だとその会場にいるほぼ全ての人が自分よりも上ということになる。
小学生にも負ければ、大人の女性にもかなわない・・・
そんな悲しい思いをしても、自分は楽しみでやっているというのを口だけ
じゃなく体現したいと思い続けています、迷惑もかけてますがw

ただスポーツの場では、いろんな思いをした人が多いんでしょう。
オイラみたいなのに「がんばってる」と評価してくれる人は多いですね。
そういうのもあって、自分の得意競技の場にビギナーや上手じゃない人が
いても同じように感じています。

よく悲しい思い、辛い思いが人を成長させるといいますが、本当にそうだと。
世の中にはそれでひねくれてしまう人もいます。
そういう人とは絶対に友達にはなれないし、過去多くのアスリートを会いま
したが、トップの人ほど意外に挫折を経験しているんで、他人のがんばりを
共感し、励ます人が多いと思いました。

地方大会レベルで優勝したくらいの中途半端な人間が一番やばいかもw 
上には上がいる、自分なんかまだまだ大したことない。
そういう思いをした人で努力した上で好成績を取った人なんかに、すごく
寛容な人が多いかもしれません。

さてさて話があらぬ方向に変わってしまいました。
結論は風邪を引いたという人をいじめないで下さいっていうこと、かな?w 

ここんとこ目にする話題の一つに円安があります。
みなさんはどう思い、どう感じられているでしょう。

オイラの場合はほんの少しだけ為替を買っていたため、少し増えてて
驚いた程度で、その他の実感はまだわいてきません。
仕事柄ではバターが入手しずらいということになるけど、仕事内容を
シフトしている現在では影響も特に。

ところで報じている内容の多くが円安による打撃、何度も書いてるし
ネットでは常識的な人の書き込みの方が多いから、じゃあ円高円安どう
なれば一番いいんだ!という怒りの声をよく目にします。

メディアはホントそんなことばかりで、日本にとっていいレートは?という
疑問にはまったく答えてくれません。ただ共通の意見としては急激な乱高
下だけは対策しずらいので勘弁してほしいというものでした。

それにしてもなぜか打撃を受けたところや、厳しい業界ばかりにしかスポ
ットを当てないんですよね。逆に今がチャンスみたいなところを紹介すれば
いいし、もちろん悲惨な方に注目したいところもあれば、逆もっていう風に
バランスよく報じられればいいんだけどそうじゃないもどかしさ。

ところでオイラ自身は円安も行き過ぎたと思ってます。
はっきりいって輸入依存度が高まったせいで、地方にあった大企業の下請
けがほとんどなくなってしまいました。思い出せば自分が規制した頃でも
三交代制の電子部分工場があったりして、田舎でも若者が就職してました
し、その他いろんな意味で活気がありました。

それが海外に工場がシフトし、国内の製品が海外の格安なものに押され
出した頃から、日本の地方は徐々に冷え込んできたんじゃないかな。
そして、それらの製品が安かろう悪かろうというのがわかり、また国内産に
目を向けようとしたら、もう倒産や廃業でなくなってしまった・・・そんな状態。

とはいえ、そんな中でも生き残ってきた産業は、品質がいいですから逆に
輸出できるほどの力があります。日本の製品は輸出にシフトするチャンス
がやってきたんじゃないかと、また地方にもう一度工場をという時代に。

円安はそういうのをもたらしてくれると。
日本は何かあるとしばらくは痛手を負うけど、さらにもう少しすると克服し、
以前よりも素晴らしい状態を作り上げてきます。
レアアースのときなんかがそうですよね、また原油高から世界でも屈指の
節電、節約製品をたくさん生み出してもきました。

よくピンチをチャンスに、なんていう言葉がありますが、まさにそうしてきた
のが日本の産業であり、邪魔をしてきたのがマスコミや利権の人々でしょう。
この国の舵を取る頭がいい人々は、一般人をなめていて、自分たちがリーダ
ーだと思ってはいるものの、本当に賢い人たちのお陰で成り立っています。

偉いのは頭で考える人ばかりでなく、作り出していく人たちもなんですけどね。
少なくとも自分自身も口先だけの人間じゃなく、何かを生産できる人間でいたい。
そのためにもあらゆる情報を集め、分析し、しっかり判断し、決断していく力が
必要になってくるでしょう。円安のキーワードから、はたしてどれくらいの日本人
がまた立ち向かっていくか、ある意味楽しみでもあります。 

何度も書いてるけど、日々人間ウォッチをしています。
理由は好かれる人はなぜ好かれ、嫌われる人はなぜ嫌われるのか。
その原因を分析し、自省することで少なくとも嫌われないようにと。

そのお陰か、若い頃は敵を作りやすい、血の気が荒い、喧嘩っ早いと
いわれていたのに、この頃は言われないどころか「そんなだったんで
すか」と逆に聞かれるくらい温厚になった・・・かなw
最近では少々のことでは怒らないし我慢もできます。

それでも元瞬間湯沸かし器、カッとなるのは今でも同じ。
こればかりは相手が怖いといわれる人でさえなんとも思わない性格な
ので、たぶん目には出ていると思う。相手が引くのがわかるからw
しかしこれまた一瞬の時間を置き、すぐに冷静になれるようになった。

自画自賛しててもしょうがないんだけど、怒らなくなってからのメリットは
かなり大きく友達が増えたし、年の離れた若い子なんかも多い。

いまだに上下関係を引きずるような人だと、若い子がオイラに向かって
しゃべるタメ口ぽい口調に、いらつくみたいだけどなんとも思わない。
なぜなら、態度自体はそんなに悪くないから。

また時間が経てば、自然とリスペクトしてくれる子もいるし、こっちが大事に
してあげれば若い子もこちらを立ててくれるようになることも知っている。

最初から目上の者への言葉使いに気をつけろって言っても無理でしょう。
オイラ自身、年配の人には尊敬する人もいれば見下す人もいて、さすがに
口調や態度は変えないけど、面従腹背の自分が確実にいますから。

こういうのは好かれる先輩、尊敬される人を観察して得たものなんだけど、
その逆で嫌われる人、避けられる人がけっこう面白い。
これが完全に人格破綻した嫌われれ者だと興味もわかないんだけど、そ
んなに人当たりも悪くなく、時には役をもっていたり、立場が上だったりも
するんだけど悪口が絶えない人がいる。

なぜだが不思議になりますよね。
でも、必ず原因があるものなんですよ。
本人は攻撃的でもなく、非協力的でもなく、口が悪いわけでもない・・・
とはいえ、信頼できる友達とかそういう付き合いはしていない。

人間誰しもいい部分もあれば悪い部分もある。
大人しい子でも家では母親に命令口調でしゃべったり、ネットだと180度の
性格で書き込んだりする人もいるように、善人ばかりということはありません。
そして、そういうはけ口に気の置けない仲間がいるものじゃないでしょうか。

というのも、いくら八方美人でがんばっても、必ず落とし穴があるものです。
だって何かの活動や付き合いがあって100%出られるわけじゃない。
そういうときに誰かが文句を言うと、フォローしてくれるのが仲間です。

仲間は普段はお互い言いたいことを言い合うけど、いざというときは助けて
くれます。危機的な時には手を差し伸べ、かばってくれるものです。
しかし、そういう人がいないと盾のない防御をしてるようなもので、普段が
いい人というくくりにあるほど、攻撃は容赦しません。

「なんやあいつ、普段はいいこと言っても行動はともなってないやん」
こういう一言が誰かから出たとたん、思ってもないほどに他の人からも批判
が出るわ出るわ・・・ゾッとする瞬間です。
そして、心の中で「他の人もやっぱ不満に思ってたんだなあ」て。

仮に助け舟が出たとしても、利害関係がある人のものは効果がありません。
それよりも何もない人がフォローすると逆に評価が向くこともあります。
「なんでおまえがあの人をかばうの?」
「実はこれこれこういうことがあって・・・」なんてあると違うんですけどね。
悪口をいわれやすい人は少なく、いい人ほどそういうのを聞きます。

自分は交友関係が広いと勘違いすると、これもまた落とし穴がある。
その関係は仕事がらみか、先のような利害関係か、それともそういうのが
まったく無関係なものかでまったく違うものになるでしょう。 
そういう点では趣味で知り合った人なんかが、そういうのに当てはまりやす
いと思いますね。

自分にはかばってくれる人がどのくらいいるんだろうか。
助けてくれる人はどのくらいいるんだろうかと思う。

でも、その反面、自分の知り合いが困っていたときに、できるかぎりの事は
してやりたいと思わなければ無理です。
助けてあげない人は自分も助けてもらえないと思っておかないとね。
結局は情けは人の為ならずってことにもつながってきます。

オイラは友人もだけど、お客さんとか、商売では問屋さんとか、そういう人
たちと仲良くしていると、知らず知らずのうちに口から口へと言ってもらえ
助けてもらえたなんていうこともありました。

一時は遠くなっても、いつかまた利用してもらったり、口ぞえしてもらったり。
人間関係は本当に不思議なものだけど、案外自分の鏡だと思えば単純かな。
一寸先が闇、どうなるかさっぱりわかりません。
一文無しになったとしても人間の評価だけは絶対に変わらないものだと思え
ばこそ、人とのつながりを考えたとき、大事にしていきたいと思います。 

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