少し違った話題のミカタ

注目の話題を中心に少し違う目線で感じたままを語ってます 暖かく広い心でお付き合い下さいm(__)m

2015年04月

久しぶりに政治家がからんだニュースですごく不快になりました。
この程度の人間が世のため人のためにやっていけるんだろうか・・・

安倍総理のアメリカでの演説、おおむね大成功だったといえるでしょう。
いろいろ読むとようやく戦後が終わったとか、日本第二章の始まりなど
一般の人たちも好意的なものがほとんど。

ただご存知のようにどういう対応をしても必ずいちゃもんをつけてくる
連中は、予想通り難癖をつけてきたけど、それすら情けないと思わせ
た外交の成果はなかなかのものだったと思います。

先日日本の有名作家が「相手が納得するまで謝罪しなければ」という
意見をいってたら、それに対し韓国人が「日本の作家が永遠に謝罪し
ろっと言っている」という反応に驚きました。

そうこれが彼らの本音、どこにも永遠に謝罪なんて言ってないのに、
結局永遠にたかってやろうという魂胆が見え見え。
しかも本当に被害を受けた人たちではなく、もう無関係になった世代に
そうしてやろうという品性下劣で卑怯な考え方だと思います。

友人たちとも話すんだけど、一昔前に韓国を旅行したときにはそんな
感じがほとんどなかっただけに、今のようなやり方はたぶん左派政権
誕生から始まったものなので、やはりどこかで区切りをつけておかな
いと、未来永劫に禍根を残すと思えば、今がその決断の時期でしょう。

日本の左巻きと呼ばれる人が謝罪を連呼していて、そう思うなら自分
たちだけでやってくれとネットの大半から噴出しています。
世界中のどこの誰に聞いても時代は変わっていくもの、それに呼応して
価値観や思考も変わっていくものですよね。

世界平和、人類平等、武器のない・・・など普遍的な理想はあるにせよ、
それらが山の頂上にあるとすれば、登り道は様々。

前置きが長くなってしまったw
本題はそこじゃなく、今回一番不愉快に感じたのが民主党の議員が
安倍演説に対して、発音が下手くそだとツィートしたこと。
他にも野党から反論があったけど、それらは内容に関するものだった
ので特に何も感じなかったけど、批判に発音はないやろ!

なぜ腹が立つのかというと、こちとら長年英語がコンプレックスで、
そこで社会人になってから英会話教室に通い、長い年月と費用をかけ
ようやく自分なりに納得できるレベルになったわけです。

そして通いながらわかったのが、英会話を阻害しているのは完ぺき
主義、ミスを怖れる、恥ずかしい気持ち・・・
特に間違いを指摘されたら、自信のない人にはジ・エンドでしょう。
それが日本人同士ならなおさら。

ですから学校でのミスの指摘は表現方法や単語の間違えとか、あとa
とかthe、~sのようなもので、発音とか多少のミスはスルー。
とにかくブロークンでもいいから話す、そして度胸をつける。
そうすれば徐々に落ち着き、自然と耳に入るようになってきました。

だからこそ民主党議員が発言したことが滅茶苦茶頭に来ます。
これが安倍さんの言い方で真意が伝わらなかった、間違った発音をして
支離滅裂になったのなら注意もいいでしょう。
しかしアメリカの人たちからそんな意見はまったく出てきてません。

逆に考えてほしいのが、完璧な日本語で話す外国人と、拙いけど一生
懸命日本語を話す外国人だとどちらに好感を持ちますか?
中には少し下手にして話す外国人タレントもいると聞きます。

この民主党議員は東大卒で元官僚、いわゆるエリート。
頭の出来でいえばオイラとは大リーガーと少年野球選手くらいの差が
あるとはいえ、賢い=立派な人間というのはどうなんだかw
この人の有名な質問で、国会でクイズをしたことでもよく出てきます。
その際も自分の知識をひけらかすかのような態度に、人間的な魅力を
まったく感じない印象でした。

英語に関しては、どうしてもハリウッド映画のような会話がイメージの
中心になるけど、我々がジャパニーズイングリッシュと呼ぶような発音を
アジアの英語圏の人々も同じように話していたりします。

それにしても安倍批判の稚拙なものには悲しくなりますよ。
そこには歩み寄りとか、一定の理解のようなものはなく、完全に侮辱とか
足を引っ張ってやろうというような悪意を感じるものが多い。
第三者からみてそういう人の意見て正しい正しくない以前に聞きたくもない。

残りの日程もまだまだアメリカの各地を周るということ。
そして反論はどの程度のものが出てくるか注目しています。 

ふと思った・・・
中国や韓国は日本が戦犯国だ、敗戦国だといってその謝罪と賠償を
何十年も外交カードにして言い続けている。

それならば戦争は嫌だけど、もう一度引き起こして勝てばいいという
意見が出てきたとしたら彼らはどう言うだろう・・・

そもそも第二次世界大戦も第一で敗戦したドイツに莫大な戦後補償を
科し、大不況になってしまったことへの反発もあった。

確かに戦争責任はきっちり果たすべきだと思う。
そして日本は極東軍事裁判を受け入れ、多くのABC級戦犯が処刑され、
戦後補償や憲法改正など様々なことを受諾した。

その上、戦後70年一度も戦火も交えず、国際平和に貢献し、世界中
から信頼できる国のトップ入りするほどになっている。

ある意味、牙を抜かれてしまった部分もあるけど、だからといって今の
日本に、土下座し続けた日本に、なおも追及していけば、お互いもう
戦争を忘れた世代になっているからこそ危険性を感じる。

叩けば相手は黙るのだろうか?
怒りをぶつければ大人しくなるものだろうか?
我慢する国民性こそ怒らせると怖いというのをわかってほしいものですよ・・・ 

ミシュランにも載っていた有名寿司店が中国人客の予約を断ったとかで
ニュースになっている。なんでも最初は好意的だったのが中国人と知った
とたんに断られたとかで、差別云々の主張だ。

これがネットでは「差別じゃなく区別だ」「中国人のイメージ問題」「そんな
店にこだわらず他店に行け」などが主にあがっていました。

日本でもバブルの頃に似たようなことがありましたよね。
当時流行ったディスコなんかでは表に黒服と呼ばれる人がいて入店の
服装チェックをしてたし、急に金持ちになった人がたくさんいて、今回の
中国人と同じように高級店に行こうとすると一元さんお断りされ、屈辱的
だとか、逆に認められるようになったと自慢してたことがありました。

お客様は神様思考により、客に媚びるのが絶対だというような風潮もいま
だにいわれることもあるけど、わがままな店とか、頑固な店主というのも
認知されています。

そのためよほど自分に落ち度がないのに何かされれば怒ることはあっても、
店側の都合とか方針が明確な場合には客側も我慢することもありでしょう。

先日には以下のような書き込みもありました。
それはラーメン店でネギをご自由にと書いてあったので、目一杯乗せたら
次回からは入店禁止にされてしまったというものです。

これについての意見では「自由にと書いてあるのだから」「限度を考えろ」
という二つに分かれていて、法律的には問題ないというのもあったけど、
そもそも法律に明記されないと理解できないのは情けないと思いますね。

似たようなことで最近オイラ自身がどうかなって思うことがあるんですが、
ラーメン店やカレー専門のようなところで食事してもずっと居座る若者が
すごく多いと感じます。

これが空いているとかなら何も思わないけど、人が待っていたり回転の
多い時間にも関わらず、追加注文もしてないのにずっといる。
酷いときには後から入った自分たちの方がその連中よりどけたり、業を
煮やした店員が「お客様、お待ちの方が居ますので」と催促されることも。

居座れない店と逆に居座るのが目的の喫茶・カフェという住み分けが常識
だと考える者にとっては、そういうのも明確化されないと理解できないのか
と想像力の欠如に、これがコミュニケーション能力の無さにもつながってい
ると思ってしまいますね。

屈辱を味わうことなんていくらでもあります。
そこで味あわせた人間に直で怒りをぶつけるか、相手にしないかが主に
対応策になるでしょうけど、その場では相手にしなかったけどネットで攻撃
するというのは一番卑怯な手段だと感じます。
仮に文句を言うなら周囲の仲間や家族にいう程度でいいでしょう。

他人に文句を言うのは簡単、でも自分も完璧人間じゃないと思えばこそ、
少し立ち止まって考えられるし、オイラ自身が怒らなくなったのはつまらない
対応しかできない小者に怒る自分も小者だと先輩から教えられました。

韓国のパク大統領が諸外国に告口をしてまわっていたのをどう見るか?
ああいうのに賛同するならどんどん書けばいい。
少なくとも情けない、よくないと思えばしないことですね。
(文句はいいけど具体的な店名とか出さないという話)

社会行動をしていて人からスマートな人、紳士的な人だといわれるように
なるのが目標です。豪快であったりするもの憧れるけど下品だとか思われ
るのはあまりにも悲しい・・・
そして自分が今どういう状態なのかは付き合っている友人を観察すれば
自分というのもみえてくるでしょう。 

事件事故のニュースを見ると主に二つの感情がよぎります。
腹が立つか、悲しくなるか・・・今回は悲しいと思うほうの話。

日本という国が少子化になり、人口減少に悩んでいることは誰しも
がご存知のことでしょう。うちの地元もオイラの時代よりも半分になって
しまい、小中学校どころか高校も統廃合の危機を迎えているほど。

もうすでに廃墟となっている保育園、小学校、中学校、高校があり
その利用方法もまったく論じられることもなく、放置されたままです。

その反対に大都市では待機児童の問題や新造保育園が周囲から、
子供の声がうるさいからと反対されている悲しい記事を目にします。
オイラも自動車の暖機運転、犬の吼える音、人の話し声とか神経質に
なることがあるけど、さすがに子供の声は・・・ないな。

そりゃあいないからだろって突っ込まれるかもしれないけど、その
反対で近所に公園があるからいつもよく聞こえてきます。
時には悲鳴に似たような嬌声をあげることもあり、飛び出そうかと心配
することさえあるし、遊具の音や何かをぶつける騒音もします。

それでもなぜかうるさいと思ったことがないなあ。
そもそも赤ちゃんの泣き声もそんなに気にしなくて、女の子が泣けば
男の子よりは静かだなって思うし、男の子が泣けば元気だなってw

そういうのもあってか一見いかついようでも子供には泣かれません。
逆に人見知りのよく泣く子が、オイラには大丈夫ってことも・・・
こどもも居ないのに不思議ですw
ただうちの甥っ子だけには泣かれました、なぜかはずっと謎のまま。
今ではよくなついているけど、あの頃は何があったのか?

記事にはなぜ?っていうのはあったけど分析はされていませんでした。
ここからは独断と偏見で書きますが、いろんな人と付き合ってきた中で
興味深いことがあったんですよ。

それは大人数で育った人ほど案外子供嫌いの率が高いということ。
よくはわからないけど、愛情を浴びる時間が少なかったからでしょうか。
その反対に兄弟が少なかった人ほど子供好き率が高いです。

反対運動をするようなのは年配で戦後の兄弟が多いような時代に育っ
た人が多い印象がありますね。彼らは多かったからこそ、人数が減っても
気にしないという深層心理もあるのかも。
やばいと思えばこそ、子供は大事という気持ちになると思いますし・・・
まあここのとこは勝手な考えですのでご了解を!

子供が楽しそうにしているほどうれしくなることはありません。
こちらも見てて思わず笑みがこぼれます。
最近は新入学の子供たちが足並みふらふら一生懸命に通ってます。

そうそうこれは自分自身がずっと少年サッカーに携わってきた経験から
いえるんだけど、褒めたり、一緒に泣いてあげたりそうした子供たちは
大人になって再びあっても当時と同じような目でこちらを見てきます。
やはり大事にしてあげればどんな子にも裏切られるようなことはないど
ころか、老いてゆくこちらを気にしてくれるのがうれしい。

こういう経験をするとなおさら見る目も変わっていきます。
寛容な人たちの多い地方にもっともっと暮らしてほしいな。
地方創生でなんとかならないものでしょうか・・・
 

先日も書いたけど麻生財務大臣の発言でAIIBについては終了したと
いうのが、おおよその人たちの反応だと思う。
日本ははっきりバスには乗りませんよ、お好きにどうぞって。

それなのに今日も「NHKニュース」で何度も取り上げてました。
やはり社内に中国電子台の出張所があるから?
いろいろ調べるとあの物議をかもした古賀氏、中国に表敬に行った
河野氏、民主・共産といった現政権の反対派、これらが参加しろ、今から
でも遅くないとしつこいしつこいwww

佐藤優氏が上手に例えていたので紹介すると・・・
中国という国が自動車でいう仮免状態なのに、もう路上に出ようとし
ている。国際金融という場の運営は二種免許が必要なくらい難しいと
いうのに、教習所の外周しか周れない国がもう大丈夫だと。

車庫いれ、坂道発進・・・いろんな対応が必要なのに、ヘアピンを回れる
のか心配なテクで、しかもルールも知らないどころか、自分に合わせろと
いう。日本とアメリカは絶対に事故を起こすと心配で冷や冷や・・・
こんな風に表現されていました。

自分自身いろんな情報を読み漁っています。
報道ステーションのように偏向しない努力もしていて、左右双方の主張
にも必ず触れるようにもしています。
そういう姿勢から思うのは、日本には確実にこの国を滅ぼしてやろうと
いうか、つぶしてもどうってことないと思っている人がいるということ。

例えば原発についてはオイラは大反対です。
ただ新しいものは再稼動してもどうってことはない。
だけど20年後、30年後には全部廃炉にして、その時間の間に新エネル
ギー開発に全力投球すべきだと、また同じく放射能を無効化するような
研究に国を上げて全力投球すべきというのが最善の道だと。

しかし日本嫌いの人は原発には反対、しかし代換えはどうでもいい。
同じく沖縄にも似たような感じだし、国防や外交、近隣諸国問題にその他
いろんなことで方向は似ていても着地点がまったく違うと思うことばかり。

こういうところに書くのは何なんですが、一般的だと極右扱いされそうに
自己分析するけど、見る人が見れば愛国左翼と分類されると思う。
基本は長いものに巻かれるのが嫌いで、反骨精神が強い。
骨太で卑屈にならないことを信条にしています。 

その根底には自分の心の中にあるマイナスの気持ちとの闘い。
それは嫉妬であったり、怒りやあきらめ、強欲とか楽したいような気持ち
に流れてしまいそうな自分との闘いでもあります。
本当に怒るべきか、それとも許すべきか・・・気にしないという寛容の精神。

そういうのって読んでくださってる中には何となくわかる人もいるでしょうが、
仏教の精神にだんだん近づいていくんですよね。
般若心経なんてまさにそのようなことが書いてる経典でもあります。

なにより、自分が付き合ってる周囲の人たちも似たような感じ。
みんな煩悩があるけど、でも最終的には上手に対峙してますね。

そういう観点から東アジア地域や日本国内にいいるおかしな人たちを観察
すると、世界の人々に共通する信仰心のようなものが欠けている印象が
はっきりしてきます。わかりやすくいえば自己チュウと拝金主義。
その最たる国が提唱するAIIB、もういい加減・・・

悲しいかな6月までバスの発車を見合わせるのだという。
その間に日本国内にいるよからぬ連中をウォッチしたいと思います。
ホント「もういいかい」「もういいよ」なのにねw 

今日は一人ではちと恥ずかしいので友人を誘い、20年以上溜めていた
ビデオテープを処分しに行きました。

最初はどうしたらいいかわからなくて詳しいこれまた友人に聞いたら、
地元のクリーンセンターいわゆる焼却場に直接持っていけば大丈夫と
いわれ、今年こそはと思っていたのが延び延びになってたんです。

そしたらこの度ようやくひかり回線の工事が決まったので、これを機に
部屋を大改装しようと思い立ち、きっかけにした次第です。

それにしてもあるは、あるは・・・ちょっと恥ずかしいので詳細は書けま
せんが、相当の量で一回で運べるか心配になるほどw
でも、何とか一回で運べたんでセーフ、その代わり料金が1000円くらい
と予想してたのに、まだまだいってしまいました。

車まで運ぶのに小一時間近く、処分場ではあっという間に捨てられたけ
ど、心底くたびれました。
とはいえ、自分的には長年の懸案事項が解決し、また部屋もすごく
すっきりしたことで肉体的には疲れたけど精神的には最高の気分。

なんていうか断捨離っていう言葉がぴったりくるかな?
そんなわけで今シーズンはほんの少しだけ軽くなった気分でスタート!
ただ体重はそうでもないのが悲しいとこですけどねw 

地元は県議選だったんだけど、しっかり投票に行きましたよ!
いつもどおり期日前でしたけどw

今回は自民党が伸ばし、維新が健闘し、共産も躍進したとのこと。
ただし民主党が大惨敗で大笑いさせていただきました。
もうね、この政党ははっきりいって終わってほしい。
名前を見るのも嫌なら、最大野党とかつけて呼ぶのも身震いする。

本当に嫌いというか、新聞の記事では解党覚悟でなんて書いて
あったけど正直解党してほしい。
本当に頭に来るどころか、日本を悪い方にしか持って行こうとして
ないかと思うほどいびつで卑しい域にあると考えています。

なぜこれくらい嫌かといえば、そもそもはすごく期待したんですよ。
オイラも自民党に嫌気がさし、どこか変えてくれないかと思っていた
ときにあったのが政権交代でした。

ただ社民党や日教組、労組がバックにいたので投票はしませんで
したけどね(賢明な判断でした)
それでも予算や政治システムなど少々痛みがあっても我慢するくら
いのの覚悟をしてたのに、呆気に取られるほどの政治・・・素人?

結局なにもできなかったどころか円高を加速させ、日本を滅ぼし
ご存知のように中韓には自由にさせていました。
そして野党になってからはちぐはぐな質問や、本当に一流大学を
出た政治家?何のために政治家になったの?この人たちは何が
したいんだろう、日本の破壊か?そんな国会質問ばかり・・・

予算委員会ではスキャンダルばかりをあげつらい、いっこうに議論
に向かわないくせに採決が行われれば強行だという。
また十分に議論がなされてないって、アホか!

ただ日本という国が素晴らしいと思うのは、いくらメディアがスキャン
ダルで足を引っ張ろうとしても国民は政治をみていますね。
そういう点では大阪都構想が注目されていて拮抗しているといわれ
ているけど、オイラは賛成で終わると思ってます。

その根拠はいくら橋下攻撃をしても今回も維新は勝ちました。
対抗する政党は住民サービスの低下って言うけど、今のサービスを
どれだけの人が素晴らしいと思っているの?
たぶんそうじゃないと思っているから、それならばせめて公務員の
給与を安くしてやれ、議員は減らせって思ってますわなw

それに橋下知事・市長になってから大阪はかなり活気づいてる印象
もありますしね。大阪の玄関口梅田と大阪の顔難波のすごいこと。
そこに関空や埠頭開発なども予定されているし、数年後には万博
跡地も巨大なエリアが出来ることになっています。

今のままでもけっこういい感じなら、今後を考えるとますます期待でき
そうだし、その足かせになっている部分をはずせばもっともっとってい
う気持ちになります。はっきりいって京都・神戸は一歩及ばず。

地元兵庫は野々村元県会議員騒動でかなりダメージを受けました。
でもお陰?で県民の目線が厳しくなり、今回もいろんなドラマがあった
ようです。何かの変革はかならず痛手を伴いますからね。

明日は久々に友人に会いに三宮に出かけます。
最近は大阪難波ばかりに行ってたのでこちらは久しぶり。
平日なんで週末ほどじゃないと思うけど、はたして賑わっているかな?
よりよい日本に早くなってほしいものです。 

ちまたで囁かれている若者のOO離れ、その中でもトップクラスに驚い
たのが東大離れで、なんでも辞退する人がかなり多いという。
 
ほんの少し調べてみると、いろんなことが書かれていました。
いくつかあげるとまず興味があること、本当にやりたいことを優先したい
というもので、OOに詳しい先生がいるから京大へとか、OOなら慶応の
ようタイプや獣医になりたいから東大以外というものもあるという。

また本当に勉強したいような人だと日本一の東大も世界の大学ランク
ではなかなか上位には入れませんよね。
というわけで世界ランクが上の大学を狙う人もいるという。

ん~ギリギリ入るような人はそんなことはないと思うけど、余裕で行ける
ような秀才はやっぱもっと世界相手に勝負したいんだと思う。
東大も確かにおおってなるけど、ハーバードやケンブリッジとかMITだと
その驚きは別次元ですから。

また現行の大学システムを知っていれば入りは難し出るは易しで、理系
は戦力になることはあっても文系は企業に入社して一から・・・なんていう
のをよく耳にします。

その就職も友人たちから聞くと以前より高学歴な学生が来るようになった
って聞くし、その反対に今まで浪人率が高かったような大学に現役で入れ
る率が高くなったというのも聞きますしね。
つまり人数が減り、簡単になり、入学しやすくなったぶん質が下がったと。

でも若者側からすると価値観が変わり、名前で人気の就職先よりも本当に
したいことの方が大切であり、金儲けが難しくなり、楽して儲けようなんて
いう意識も減り、そこそこに生きていければいいとなればこだわりもずい分
なくなってきているんじゃないかと想像します。

そういう風にみていくと昔から問題になっていた学歴社会の考えが少しずつ
変わってきているんでしょう。名前よりも実を取るという考えは否定よりも
むしろ肯定されるべきなんじゃないかな。
とはいえ、あと10年するとまた別の考えになりそう。

一つだけ言いたいのは、大学は卒業の方が難しいとなるべきですね。
就職予備校といわれた時代も終わり、モラトリアム養成機関なんていうのも
不況が続けば行かせられなくなるため、本当に学ぶ場でないと!
そうなったらまた日本がすごく変わっていくように思う。

東大卒の官僚の世界が何期でトップだの入ったときとか試験の話ばっかでしょ。
それよりも入りは易し出るは難しの方が、真の実力者やその世界が本当に
好きな人が残るようになり、その分失敗しても再チャレンジの場も増えれば、
なかなか面白い世の中になると思うな。

これだけは日本社会で一番変わってほしいところでもあります。
実現するまでは観察していきたい・・・ 

このページのトップヘ