永遠の0についての感想を書いた後、映画の試写を見た井筒監督が
かなりの批判をぶちまけているみたい。

映画「永遠の0」を痛烈批判した井筒監督「見た後で自分の記憶から消したくなった」

その内容を読むと、ははあいつものサヨのやり口だなあって思いましたね。
 端的にいえば言葉狩りというか、言論弾圧というか、言わせないように
してしまうと表現した方がいいかな。

どういうことかといえば、例えばゼロ戦について特攻隊員がどのような
心情だったとか、当時の状況とか、細かい描写とか関係ないんですよ。

そういうのをいろんな資料を調べ、証言を聞いたり、調査をしたとしても
必ずこう言うんです。「戦争を美化している」「戦争賛美」「当事者ではない」
「被害者の心情をわかってない」・・・

ほとんどのごくごく普通の人なら、本や映画を見れば不戦を誓い、もう二度と
このような悲劇を繰り返したくないと思うものです。普通ならねw
しかしサヨク思想の人がなぜそうじゃないかといえば、長年彼らの主張も読み
聞きしながら至った結論は「語らせない」「調べさせない」「触れさせない」
ようにしているんだろうと感じます。

つまり、自分たちの解釈が最上最良であり、それ以外のものは却下。
その内容は一寸たりとも「止むに止まれず」とか「仕方なかった」とか
本来、戦争が持つ一番の悲劇でもある心の弱さや他人に流されたり、
人目を怖れて迎合していくようなことは完全否定なんです。

それが本当に平和とか、調和を求めるものならまだいいでしょう。
彼らの言い方は攻撃的で、戦闘的で、独裁的で自分たちの方がよほど
好戦的なんじゃないかと思いますね。実際武力闘争ばかりですしw
そのためにはまず情報を封じてしまうんです。

常識人的な対応であれば、必ず批判するにしてもいいところも悪いところも
両論を併記して語るものでしょう。戦争反対の平和主義者がけんか腰って
誰がどう考えても異常だよwww

そもそもOO主義とかは過去を否定、伝統文化否定、完全ピラミッド型の
統制システムだっていうのを忘れちゃいけない。
というわけで今回一番言いたいのは、そうした過激な連中は封殺したり、
情報を捻じ曲げて操作しようともするけど、そういう風にする連中を見極め
乗せられないようにすることですね。

だいたいそういう連中は近所付き合いとか、ボランティアとかしないもんw
普段からみんなと仲良く語り合う、他人を信用する人じゃなきゃね。