日本では正しくてもそれを「言っちゃあおしまいよ」ていうことがある。
また、事実として確かにあるが、それを言うのはおかしいというのも。

先日、ジャッキー・チェンがもっと津波や地震が起こればいいと発言し、
物議をかもしました。彼はそういう不幸があると一致団結とか、協力し
合う助け合うなどの良い傾向を言いたかったんでしょう。

しかし、被災者や犠牲者に対しての視点が欠けていて、 しょせんは
成功者、不幸を感じたことのない者の戯言にとられています。
こういうのは、テレビのコメンテーターにも同じようなものを感じ、
彼らが庶民性や一般人アピールをするとしらけてしまいます。

そして、話を元に戻すと 陸上・為末大選手のつぶやきがこれまた批判
をあびているようで、内容は以下

為末 大認証済みアカウント @daijapan
成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。
アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。
やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提。

https://twitter.com/daijapan/status/392419979707969536

これは正論でしょう。 
日本では努力することが美徳であるとされているけど、努力すれさえすれば
それでいいのか、報われぬ努力よりも別の道、自分の身の丈を知り、それ
にあわせた精進もある。

よくOO一筋なんていうのが立派ようにいわれるけど、成功者の多くがまわり
道をしていたり、他にもいろいろ試した人の方が多い。

今回は陸上選手の話だけど、勉強だとどうだろう。
日本の最高学府東京大学や京都大学に行くような人は、一流アスリートに
近いものがあり、オイラもほんの少しの人と交流できたけど、明らかに出発点
のようなものが違うと感じた。

すごく納得したのが「野球が得意な人、水泳が得意な人がいるでしょ。僕は
たまたま勉強が得意だっただけ。彼らに練習が苦しいかと聞けば、たぶん
そうじゃないと思う。僕も勉強が楽しくて仕方ない」

こう言われたときは、グゥに音も出ませんでした。
スポーツでも最初からある程度足が早い、肩が強い、パワーがあるのと同じ
ように頭の良さでも努力ではどうしようもない才能・DNAをね。

長年スポーツに携わり、多くの選手もみてきました。
思うに、コツコツした自主練習を続けられる人が成功しています。
じゃあ、誰でもそうかといえば別で、努力が報われそうだと感じ、やれば上達
し、実際身についていく人たちに限られていると。

そんな風に書くと、自分には何もないと思う人もいるでしょう。
でも、才能は誰にどのようなのが眠っているのかがわからないため、自分で
探し、求め、出会わなければ仕方なく、運の要素もあります。

実際サッカーは全くダメだったのに、コンピュータでは世界的だったり、球技は
さっぱりなのに格闘技がすごいとか、こういうのはピンとくる人もたくさんいる
と思われます。そんなものですよね。 逆に一流アスリートは事業の世界とか
商売には才能のない人が多いですし。

結果論ばかり、いわゆる勝利至上主義のようなのは嫌いです。
しかし努力とか忍耐のような教育的なものでごまかすのも嫌いです。
今日もテレビで桐光学園の松井選手の特集をしていて、彼のすごい自主練習
を紹介していました。完全に常人離れしていり、真似できないでしょう。

その中に甲子園大会ではチェンジのたびに、全力疾走してベンチを行き来する
というのもあり、それは話が違うと!

すごい才能のある話に、誰でも出来そうな話を加え、勘違いした指導者が炎天下
のグランドを全力疾走させる。そういうのを美徳にする傾向がある高校野球
の世界に、警鐘を鳴らす意味でも為末氏の発言はあるようにも思いました。

物事は才能!
ただし人間にはどんな才能が隠されているのかわからない。
いろんなチャレンジをしてみよう。
これを飽きっぽいとか、移り気なんていう言葉にしないことが大切だと・・・